『吉松隆/管弦楽作品集』の魅力と意義――小室敬幸(前編)

特別寄稿
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藤岡幸夫が指揮したBBCフィルハーモニック(1枚だけマンチェスター・カメラータ)により、1995〜2003年にかけてイギリスの音楽レーベルCHANDOSで録音された7枚のアルバムがまとめられ、ナクソス・ジャパンから『吉松隆/管弦楽作品集』としてリリースされた。吉松隆作品の中核に位置する交響曲を軸に、2回に分けてその魅力と歴史的な意義を解きほぐしてみたい。

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吉松隆/管弦楽作品集(交響曲、管弦楽曲、協奏曲)

藤岡幸夫指揮BBCフィルハーモニック,マンチェスター・カメラータ,他
〈録音:1995年7月~2003年11月〉
[NYCB10031]※7枚組

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Text: 小室敬幸(音楽ライター)

初期作の「80年代様式」と、作風転換後の「90年代様式」

 吉松の交響曲第1番は1990年に完成した《カムイチカプ交響曲》Op. 40だが、実はそれ以前にも交響曲となり得る可能性をもった作品があった。最終的に個別の作品となった《鳥獣保護区》Op. 4(1976)、《朱鷺によせる哀歌》Op. 12(1980)、《ドーリアン》Op. 9(1979)は、それぞれの楽想をもとにシンフォニーに仕上げて“交響曲第1番”となる構想があったという。また「鳥の三部作」の完結編にあたる《鳥たちの時代》Op. 25(1986)も“交響曲第2番”になる可能性が検討されたことがあったようだ。

 これらの作品を作曲者自身の解説をもとに解きほぐしてみよう。前衛音楽における“12音からなる半音階”を“7音からなる「モード(旋法)」”に置き換え、モードで書かれたフレーズを「レイヤー構造」で編み込むと、独特の浮遊感をもつ「サウンド(音響)」が生み出される。これを吉松自身は「80年代様式」と呼んでおり、その最たるものが出世作《朱鷺によせる哀歌》だったのだろう。今回のボックスに収録された作品でいえば、《チカプ》Op. 14a(1981)やギター協奏曲《天馬効果(ペガサス・エフェクト)》Op. 21(1981〜84)も該当する。

 それに対し「90年代様式」になると、浮遊感のあるサウンドから、明快な「ビート(律動)」を志向するように徐々に変わっていき、構成面ではグラデーションのように音楽が移り変わっていくことよりも、「ブロック構造」で積み上げられるコントラストがはっきりした「フォーム(形式)」が増えていく。その転換期に書かれたのが《カムイチカプ交響曲》なのだ。

 この流れをベートーヴェンになぞらえてみると面白い。皆さまご存じのようにベートーヴェンは、交響曲第1〜2番においてはハイドンやモーツァルトを規範にしていたのだが、突如として第3番《英雄》で拡大路線を取り、その後の自らが歩んでいく新たな道筋を示してみせた。そう捉えれば、まだ現代音楽関係者のご機嫌を窺っていた節のある「80年代様式」ではなく、「90年代様式」へと足を踏み入れた《カムイチカプ交響曲》こそが――しかも前述したように第3番になる可能性もあった!――吉松にとっての《英雄》であるはずなのだ。既成の価値観を打ち壊してくれると期待したベートーヴェンにとっての英雄「ナポレオン」と、鳥を自由の象徴として大事にした吉松にとっての神(カムイ)の鳥(チカプ)「シマフクロウ」を並べてみるのも興味深い。

吉松隆=新ロマン派……という誤解

 しかしながら1990年5月26日の世界初演(大阪)と同年6月2日の東京初演で吉松は「おそらく音で聴くのはこれが最初で最後だろうなぁ」と思っていたという。2022年の筆者によるインタビューで次のように語ってくれた。

個人的には聴いている人たちが喜んでくれたから良かったんだけど、評論家とか現代音楽の作曲家からは完全に無視されたね。こんなにでかい曲を書いたのに批評は何もないのかよっていう(笑)。実際はプログレッシヴ・ロック、シュトックハウゼン、シベリウス、能登の御陣乗太鼓まで、めちゃくちゃ色んな音楽が入っているのに、せいぜい「ストラヴィンスキーみたいだね」としか言わないの。当時、現代音楽の枠のなかでロマンティックな音楽に一旦戻ろうという動きは全部「新ロマン」って言われたんです。だから「何も分かってないね、この人たち」と思いました。

 え!? 吉松隆って新ロマン主義者じゃないの?……と思われた方もいるだろう。勘違いされやすいが本人が主張していたのは「新(世紀末)抒情主義」であって、19世紀的な「ロマン主義」ではないのである。例えば、上の世代で前衛的な無調音楽と距離をとり、メロディのある音楽にこだわっていた別宮貞雄や原博は、吉松からすると伝統的な機能和声にこだわっているようにみえて、仲間とは思えなかったのだという。

 言い換えれば、第二次世界大戦後の現代音楽が普及する“前”の世界に戻ろうとしたのが別宮や原だとすれば、そうした現代音楽で様々な試みが行われた“後”の世界で前衛的なアイデアをポップカルチャーのなかで面白い音楽として聴かせてみせたビートルズのような音楽を目指していたのが吉松だったのだ。前者のメインストリームは「ポスト・ウェーベルン」と説明されることが多いので、後者の吉松は「ポスト・ビートルズ」だと自称している。

 吉松は確かに「現代音楽撲滅運動」を主張していたけれども、同時に「60年代までの現代音楽は面白かった」とも発言している。だから吉松の「現代音楽撲滅運動」は回顧主義とは真逆の、現代音楽の先に進もうよという主張だったのである。前述した「80年代様式」――前衛音楽における“12音からなる半音階”を“7音からなる「モード(旋法)」”に置き換える――は、このような文脈で作られたものだったのだ。

 まだ現代音楽業界の顔色をうかがいながら作曲した第1番《カムイチカプ交響曲》と、翌年に完成した交響曲第2番《地球(テラ)にて》Op. 43(1991)の楽譜を見比べると、視覚的にも大きく印象が異なる。不確定記譜と呼ばれる手法を重ねてレイヤーを生み出す部分が多い《カムイチカプ交響曲》に対し、異なるリズムが積み重ねられたポリリズムが軸となっていくのが《地球にて》なのだ。

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交響曲第2番《地球にて》
初出時のジャケット写真

 交響曲第1〜2番は初演時の録音(正確にいえば第1番は東京初演)も残されているが、このボックスセットに収められた藤岡による録音は作曲者の意図したテンポ感がとられることで、おおまかにいうと遅い楽章はより遅く、速い楽章はより速く演奏されている。レファレンスとなるべきこの録音を聴き直しながら、典型的な「80年代様式」である《朱鷺によせる哀歌》、過渡期の《カムイチカプ交響曲》、「90年代様式」へと移り変わった《地球にて》……という変遷を再検討してみてほしい。懐古的な新ロマン主義とは違う試みだったのだと理解することで、やっと吉松隆作品の真価がみえてくるのだから。

(後編へ続く)

吉松隆/管弦楽作品集(交響曲、管弦楽曲、協奏曲)
〔交響曲第1番《カムイチカプ交響曲》~第5番,ギター協奏曲《天馬効果》,ピアノ協奏曲 《メモ・フローラ》,サクソフォン協奏曲《サイバーバード》,トロンボーン協奏曲《オリオン・マシーン》,チェロ協奏曲《ケンタウルス・ユニット》,《アトム・ハーツ・クラブ組曲》第1番,同第2番,朱鷺によせる哀歌 Op.12,他〕

藤岡幸夫指揮BBCフィルハーモニック,マンチェスター・カメラータ,クレイグ・オグデン(g)田部京子(p)須川展也(sax)イアン・バウスフィールド(tub)ピーター・ディクソン(vc)
〈録音:1995年7月~2003年11月〉
[NYCB10031]※7枚組

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企画・制作:ナクソス・ジャパン

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