プレルーディウム連載

【連載】プレルーディウム 第17回/舩木篤也

音楽評論家・舩木篤也氏の連載「プレルーディウム」。
プレルーディウム(Präludium)は、ドイツ語で「前奏曲」の意味。毎回あるディスク(音源)を巡って、ときに音楽の枠を超えて自由に思索する、毎月1日更新の注目連載です。
第17回には、クレンペラー指揮コヴェント・ガーデン歌劇場管の、ベートーヴェン《フィデリオ》ライヴ盤が登場します。現在放送中のNHK連続テレビ小説『ばけばけ』の第65回を端緒に、音楽が意表を突くように「置かれる」ことについて考えていきます。

ディスク情報

ベートーヴェン:歌劇《フィデリオ》(全曲)

オットー・クレンペラー指揮コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団,同合唱団,セナ・ユリナッチ(S:レオノーレ)ジョン・ヴィッカーズ(T:フロレスタン)他
〈録音:1961年2月(L)〉
[Testament(M)SBT21328(2枚組,海外盤)]

音楽の置きどころ

 昨秋からNHKの連続テレビ小説『ばけばけ』を観ている。物語の舞台、松江は、私の亡き父が生まれ育った地であり、亡き母と出会った地であり、私自身、幼い頃から親しんでいる町なので愛着がある。それに、「外国人は帰れ」みたいな空気ただよう今の日本で、頼もしいではないか。ラフカディオ・ハーンの妻となった明治期の小泉セツを主人公にするなんて。
 もっとも、「朝ドラ」の常で、名前は変えてある。セツはトキ、ハーンはヘブンという。このドラマ、ふじきみつ彦の脚本が、よく言えば丁寧、でもちょっと引っ張るくせがあり、ふたりが心惹かれ合っているのは明らかなのに、なかなかくっつかない。そう思っていたら、昨年末に、その時がついに来た。そしてその仕方に、ちょっと驚いた。
 第65回の終盤。ヘブンがぼそりと言う。「サンポ、イッテキマス」。そうして松江大橋をとぼとぼ往こうとすると、トキが呼び留め、ためらいがちに言う。「あのう……。わたしも、ご一緒してええですか?」。その笑みをじっと確かめてからヘブンが言う。「ハイ」。
 と、ここで、不意に、ドラマの主題歌が鳴り始めたのだ。なんと今日はこんなところで!とこちらが思うが早いか、画面はまっ白になり、タイトルロゴ、作者名、出演者名、等々を映し出す。寅さんの歌を本格カントリー調に寄せたような、ハンバート ハンバートの《笑ったり転んだり》を聴きながら、全国の視聴者は思ったことだろう。ああ、トキさん、ヘブンさん、これまで大変だったね。貧困も大寒波もあったし。それぞれ昔の恋もあったし……。

ばけばけ_オープニング_サムネイル
ハンバート ハンバートによる主題歌《笑ったり転んだり》のドラマ・オープニング版(NHK公式YouTube。2026/01/29アクセス確認)

 そうして歌もサビの終わりに差しかかった頃、画面がこれまた不意に切り替わり、夕陽にきらめく宍道湖がいっぱいに映った。岸辺の人影は逆光でよく見えないが、もちろん、トキとヘブンである。歌はすでに鳴りやんでいる。だが彼らの声は聞こえない。それでも何が起こるかはもう分かる。たわむれ合うふたり。その手がついに、しっかりと結ばれ、ドラマは終わった。

 この感じ。これは何かに似ている。すでに知っている何かに似ている。何だろう? 松江びいきの胸を熱くしながら、考えてみる。父母のことか? まさか。馴れそめの場に立ち会った憶えはない。そうだ、ベートーヴェンだ。彼の《フィデリオ》だ。《レオノーレ》序曲第3番だ。

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