
柴田南雄の連載、「名演奏のディスコロジー」の再掲載2回目です。
『レコード芸術』1976年1月号から77年12月号まで、計22回続いた本連載の第2回は、小澤征爾とジャン・マルティノン、それぞれのラヴェル作品集がテーマ。「子供のための音楽教室」(桐朋学園音楽部門の開設へ繋がる)の設立メンバーでもあった柴田は、小澤の10代の頃を知る人物でもありました。その師、齋藤秀雄についてのエピソードも登場します。
※再掲載にあたり、「小沢」を「小澤」にあらためたほか、一部の約物を変更しております。
※文中レコード番号・表記・事実関係などは連載当時のまま再録しています。
小澤征爾とボストン・シンフォニーの『ラヴェル管弦楽曲集』を聞いてみよう、という気が起きたのには2つの理由がある。その1つは去年[レコード芸術ONLINE編注:1975年]の9月はじめに新日本フィルの特別演奏会(アンサンブル・タッシをソロ群とする武満徴の新作《カトレーン》の初演の時、TDK主催、東京・新宿厚生年金会館)でラヴェルの《ラ・ヴァルス》と《ヴァルス・ノーブル・エ・サンティマンタル》を彼がじつにみごとに振った印象がいまだに鮮やかなこと。もう1つはジャン・マルティノンとパリ管弦楽団の『ラヴェル管弦楽全集』(エンジェルEAC77050~54)を去年の夏頃に聞いてとても感心したので、小澤とボストンの出来栄えはそれと比べてどうだろうという興味を持ったこと、この2つである。(レコード番号、グラモフォンMG 8068~71。)
思えば、わたくしは小澤の指揮をずいぶん長く聞かなかった。渡辺、森、若杉、岩城、山岡、秋山といった指揮者たちは少なくとも年に2、3回は聞いているのに小澤をほとんど10年くらいも聞いていないのは、彼がおもに外国で活動しているからでは決してない。そうでなく、彼はわりにまめに日本でも仕事をしているが、その曲目がわたくしにはさっぱり興味のないものばかりで、わざわざ出掛ける気が起こらないからだ。結局、メシアンの《トゥーランガリラ交響曲》の日本初演(まだ彼がN響と決裂していなかった1962年)のあとは、オーケストラル・スペース(1966年の)でのクセナキスの《戦術》が小澤を聞いた最後ではなかったかと思う。一昨年の初秋だったか、武満作品の会(文化会館)の時は、これはわたくしが折悪く病気して行けなかった。
要するにわたくしがいつも日本人の指揮者で聞くのは、さまざまな日本人の曲(新作ばかりとは限らない)と、ヨーロッパの現代音楽、またはおもにドイツのロマン派以後のわりに珍しい曲目が中心になっているらしい。小澤の日本でのプログラムにそういうものが少ないのは、彼の活動の背景にアメリカの音楽生活があることと、もう1つは日本で彼は新日本フィルしか振らないことに大きな理由があると思う。彼がベルリオーズを一応やり終えて、たとえばマーラーの第3、第6、第7だの、先日ベルリンを振ったテープで聞いたアイヴズの第4などに向ってくれたら、わたくしもきっと彼をもっと頻繁に聞きに行くようになるだろう。
しかし、ともかく昨秋の小澤のラヴェルでは、日本のプレーヤーがあんなに自発的に積極的に弾けるのか、という感想が浮かぶほど、充実した音楽が巧みな棒さばきから湧き上がっていた。おくれ馳せながら、ボストンの常任という貫禄をわたくしなりに確認できたし、またかつてティーン・エージャーの頃の小澤が持っていた最良のものも、失われずにあることを感じたのだった。
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