インタビュー

フランチェスコ・トリスターノ
精緻自在な異才ピアニストが挑む
《フランス組曲》の「親密な自由」

インタビュー・文=山野雄大(ライター/音楽・舞踊)
通訳=久野理恵子
カメラ=各務あゆみ
取材協力=(株)キングインターナショナル、ユーラシック

自分の奥底に眠っている「声」を聴いているような……それほどの親密な近しさを感じさせる音楽。しかしそこには、これまで自分の中にはなかった新鮮な感覚もまた確実にある。――そうした、心地良くざわめかせてくれる二律背反こそが、私たちの時代を自由に生きる異才ピアニストの持つ、不思議な魅力なのかもしれない。

ルクセンブルク生まれのピアニスト、フランチェスコ・トリスターノは近年、自身のレーベル「intothefuture」を立ち上げて、J.S.バッハの鍵盤ソロ作品の録音をリリースし始めた。

「パンデミック以前から、自分自身のアイディアとして企画して、続けているところですが、全曲録音なんて、クレイジーな企画ではありますけど」とトリスターノははにかむような静かな声で、しかし途切れぬ口調で語る。

既に《イギリス組曲》全曲録音が2023年に発表されているが、第2弾となる《フランス組曲》がこのたびリリースされた。7月に来日したトリスターノに、この新録音やバッハ・シリーズについてのお話をうかがうことができたので、ご紹介しよう。

J.S.バッハ:フランス組曲(全6曲)
フランチェスコ・トリスターノ(p)
[キングインターナショナル(D)KKC120]
3300円

「バベルの図書館」
としてのバッハへ

「バッハのポリフォニックな音楽は、旋律が途切れることなく、いくつもの層を重ねながら、多声的な世界を広げ続けてゆき、私たちを未知の世界へと誘ってゆきます。その終わらない旅……複雑な感情の旅路は、言うなれば、ボルヘスの作品に出てくる書棚のようなものだと思うんです」

トリスターノが引き合いに出したのは、作家ボルヘスの短篇小説「バベルの図書館」(『伝奇集』所収)に描かれた、無限の宇宙のような巨大な書棚のイメージ。

「奥まで無数の次元がひらけてゆくように、どこまでも並び続けている書棚……たとえば、6つの《フランス組曲》、6つの《イギリス組曲》、6つの《パルティータ》と、バッハの音楽も終わりなく続いてゆく。鍵盤作品だけでなく、6つの無伴奏チェロ組曲も、6つの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータも……。そうした、バッハ作品に広がっている無限の可能性から、私は、ある瞬間をつかまえるように、レコーディングをするわけです」

リリース順としては2つめに登場した今回の《フランス組曲》も、かみしめるように繰り返し味わうにつれ、あらためて新たな美しさも追体験させられるような、自在な深みすら感じさせる新盤になったと感じられる。強く勧めてよいと思うのだが、トリスターノ自身いわく、

「《フランス組曲》に関して言えば、人によっては『これこそ聴くべき代表盤である』という録音があるのかもしれないけれど、私自身にとっては、グレン・グールドの録音は例外的なものとして、そう言えるものがなかったように感じているんです。しかし、この曲には、本当に無数の『美』の可能性が隠されている。6曲の中でも、第5番は比較的よく演奏されるかもしれませんが、あまり弾かれない他の曲も含めて、そこには非常に奥の深い『美』があると思います」

Francesco Tristano 
1981年、ルクセンブルク生まれ。同世代で最も多才な音楽家のひとり。バロックとコンテンポラリーのピアノ・レパートリーを演奏して世界で演奏旅行を行ない、エレクトロニック・ミュージックのレーベルにダンス・トラックを提供する一方、J.S.バッハの鍵盤作品全曲を録音するという野心的なプロジェクトを続けている。ピアノという楽器の感性と豊かな音色、そしてエレクトロニクスの可能性の両方を探求している彼自身の、パーソナルなストーリーを織り込んだアルバムを発表。バロックやルネサンスのクリーンな音色と、テクノのリズミカルな鼓動を同時に追求する彼の音楽的個性は稀有なものである。

ダンス、グルーヴ
――躍動の多彩と多層

バッハ《フランス組曲》にはさまざまな筆写譜があって、バッハの原典を再構築するのはなかなか難しい作品としても知られるけれど、各種のバージョンについてはさておき。トリスターノの演奏は、何よりもバッハの音楽に溢れる、躍動の多彩と多層とを、見事に我がものとした喜びが感じられる。

「人は、たとえば赤ん坊が、音楽が何であるかを考えるより先に、歌ったり演奏したりするよりも先に、身体を動かして踊り始めている。そのようにダンスは、人間の感情表現の最も根底に関わる要素でもあり、非常に重要な位置を占めているものです。バッハの鍵盤作品にも、《パルティータ》であれ《ゴルトベルク変奏曲》であれ、そしてこの《フランス組曲》にも、ダンスのリズムやグルーヴ感が溢れています。ただ、どちらかというと《イギリス組曲》のほうがダンスの要素が強いかもしれませんね。《フランス組曲》のほうがやや内省的な、自己の内面を掘り下げていった先に現れる舞曲的な要素、という感じはします」

このあたり、アルバムにピアニスト自身が寄せた簡明な文章や、青澤隆明氏のライナーノートにある精緻な表現もお読みいただくとして、

「舞曲的な要素の根底には、あるいは敬虔な人であったバッハの信仰的なものが流れているのかもしれないとしても、やはりあの時代のポップ・ミュージックであったことには違いないと思うんですよね」

J.S.バッハ:イギリス組曲(全6曲)
フランチェスコ・トリスターノ(p)
〈録音:2022年12月〉
[キングインターナショナル(D)KKC111]2枚組
5500円

「オープンなバッハ」に
内包される無限

トリスターノ自身、少年期からクラシック音楽だけでなくロックやワールドミュージックなど広く親しみ、ソロ・ピアノやジャス・アンサンブルのための曲も書くなど多彩な貌を持っている音楽家。バッハとも、学究的な厳密さとはまた異なる感性をもって対しているだろう。

「バッハは非常にオープンな人でした。信じられないことに、生涯ドイツから一歩も出なかったにも関わらず、イタリア音楽の要素を巧みに取り入れましたし、イギリス舞曲のジーグだって取り入れている。訪れることのなかった国の音楽にも広く好奇心を持っていましたし、さらにはオルガンの構造などさまざまな技術にも興味を示していたりと、時代の先端を行っていたとも言えます。保守的な人と捉えられがちですが、流行りのコーヒーを好んでみたり(笑)、当代的な人ではあった」

バッハの同時代性をも、現代の感性であらためて解き放つ。

「そんな彼が、小さなモティーフを無限に拡げてゆく……ひとつ、ふたつの音の塊から、壮大な音楽を組み上げてゆくとき、ちょっとしたインスピレーションを無理に探してこね回すのではなく、非常に自然に、大きく広がってゆくのです。――バッハ作品を掘り下げて考えるほど、人生をかけて考えても足らないほどのものが内包されている、と感じられますし、私はそこに、ひとつでも新しい解釈をつけ加えることができれば幸いだと思っています」

いまトリスターノが触れた舞曲性は、演奏における即興性にどのような影響をもたらすだろう?

「なるほど……即興性はダンスにおける重要な要素ですが、それはとりわけリピート、そして特に装飾において強くあらわれるでしょうね。装飾は、バッハが演奏者に即興の余白を与えているものですし、バッハ自身がいかに優れた即興演奏家だったかも示唆しているポイントだと思います。いっけん余白が無いように見えて、実はそこに演奏者の個性が入り込む余地がたっぷり取ってある、というのがバッハ作品の凄さなんです。ブーレやジーグのようなテンポの速い楽章では、そうした個性を入れ込むことは難しくなりますが、たとえばゆっくり弾かれるサラバンドでは、装飾や呼吸といったさまざまなポイントで即興性が生かされることになる」

彼のバッハ録音を聴くときに、「余白」を満たしてゆく細やかな呼吸と装飾、にも注目したい。

「バッハが記譜した通りに演奏するのは大切なことではありますが、レコーディングというのは演奏の瞬間を定着させてしまうものですから、『瞬間以上』のものを考えて録音しなければならない。そのとき、自分の考えていることと即興性、その兼ね合いは非常に重要になってきます」

取材は2024年7月11日、渋谷区富ヶ谷にある「カフェとおにぎりpamoja」にて行なわれた。午前中の取材だったが、朝型のトリスターノは近くを軽くランニングしてからインタビューに応じてくれた。2001年の初来日以来、何度も来日しているトリスターノは日本通で和食も大好き。この取材のあとはバカンスで、家族と日本国内を旅行したという。

モダン・ピアノから、
さらに

そんなトリスターノのバッハ表現にとって、モダン・ピアノという楽器はどのような存在だろうか。

「過激な意見を言うようですが……バッハにとって楽器は重要でなかった、と思うんです。楽器によって音楽そのものは変わりますが、チェロであれヴァイオリンであれ、リュートであれチェンバロであれ、楽器を入れ替えたところでそこには遜色なく美しい音楽がある。有名な日本人マリンバ奏者による美しいバッハ演奏もありますし、シンセサイザーによるバッハ演奏もある。バッハの時代に存在しなかった楽器でも表現し得る、ユニバーサルな音楽なわけです」

ただ、と彼は続ける。

「もちろん、バッハにとってモダン・ピアノは全く未知の楽器ですが、音量的にもちょっと大きすぎる楽器ではある(笑)。音域だって半分で足りるし、音量を増幅したり低減させるペダル操作は要らない。私はチェンバロ奏者ではないですが、チェンバロも勉強しましたので、あるべきアーティキュレーションをそこから学びましたし、多声的な音楽の表現にはペダルが邪魔になるし、極端なフォルティシモやピアニシモは要らない。そこにあるのはソロとトゥッティの相違であって、極端なクレッシェンドやデクレッシェンドも要らない」

それよりもむしろ、とトリスターノは強調する。

「バロック時代の音楽性へと気持ちを切り替えることが大事であって、そこであるべき音色表現も模索されてゆくわけです。ペダルを使わないクリアな表現と、もうひとつ重要な要素として、ホールの音響も生かしてゆくべきですし、そうした総合を通して、ゆくゆくは鍵盤作品以外のバッハ作品録音も可能になるのでは、と考えています」

続くバッハ録音、
次作は《パルティータ》

「去年は録音のリリースとあわせて、日本でも《イギリス組曲》を弾くツアーを行ないましたが、今回の《フランス組曲》はそれより前に録音してあったものです。時間に追われるようにリリースするのもいやだったもので」とトリスターノ。

「他にも6つの《パルティータ》の録音が済んでいます。それに《トッカータ》が続く予定ですが……この《パルティータ》も、バロック組曲という点では、これまでリリースした《イギリス組曲》や《フランス組曲》と共通するところも多い。とはいえ、そこにはやはり、パルティータ特有のフィーリング、という言うべきものがあると思います」

気の早い話だが、今後リリースされるであろう、その《パルティータ》についても伺っておこう。

「みずから出版した最初の曲集である、という意味でも、これは『バッハの作品1』という重要性もあると思うのですが、第1番ではとてもストレートで美しいサラバンドだったものが、第6番のそれでは非常に抽象的な美しさに至っていたりと、どんどん複雑になってゆく教育的な要素もあります。そのあたり《イギリス組曲》や《フランス組曲》と比べてみると面白いと思いますね。……まぁそもそも、《イギリス組曲》や《フランス組曲》にしたところで、別にイギリス風だったりフランス風だったりするわけではないんですが(笑)」

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