アニバーサリー作曲家レコ芸アーカイブ
特捜プロジェクト・アニバーサリー作曲家 2005年⑦

エルネスト・ハルフテル(生誕100年)
[2005年7月号掲載]

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文・濱田滋郎(はまだ・じろう)

音楽評論家、スペイン文化研究家。1935年東京生まれ。少年時代よりスペイン・中南米の文学、音楽に興味を抱いて研究、1960年ごろより翻訳、雑誌での執筆、レコード解説などの仕事に就く。おもな著書に『フラメンコの歴史』『エル・フォルクローレ』(以上晶文社)、『スペイン音楽のたのしみ』(音楽之友社)、『約束の地、アンダルシア』『南の音詩人たち』(アルテスパブリッシング)、『なんでかなの記』(言言句句)、訳書にカーノ著『フラメンコ・ギターの歴史』(パセオ)、スビラ著『スペイン音楽』(白水社文庫クセジュ)ほか。1990年より日本フラメンコ協会会長。1985年より清里スペイン音楽祭を総監督として責任開催。1984年第3回蘆原英了賞受賞。2021年3月没。

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ファリャに師事

Ernesto Halffter 1905~1989

マヌエル・デ・ファリャ(1876~1976)と言えば、もう今さらでもなく、近代スペイン民族主義の高峰として、生前から、ひとしく同世代人や後輩から敬愛を受けた存在である。すなわちその影響は広く深いものがあったのだが、半面、教職には就かなかったことも手伝い、彼からじかに学んだ弟子という者はごくわずかしかいない。そのわずかなひとりが、エルネスト・ハルフテル(1905.l.16、マドリード~1989.7.5、同地)である。ハルフテルの父親は、スペイン首都に定住したドイツ人で、姓の綴りはHalffterである。スペイン語ではHはサイレントだが、この場合はドイツ系なので「ハルフテル」と読む(郷に入りては……で「アルフテル」としても、べつに間違いではないが)。父親はさして音楽には縁がなかったが、スペイン人の母親は、もともと音楽愛好の家庭に育っていてピアノをよくし、家には「ドビュッシーが得意な、フランス人の」母の友人なども訪ねてきたりした。そんな環境のもとで、まず音楽の魅力に捉えられ、早くから作曲家になりたいと思い始めたのは、エルネストから見て5歳年長にあたる兄のロドルフォだった。幼年期から少年期にかけて、エルネストは、母および兄からの強い影響のもと、音楽の世界に浸っていったと言っていい。

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