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1959年東京都杉並区生まれ。音楽評論家。コピーライターを経て、40歳を目前にして名刺に音楽ライターと刷り込んで以来、音楽誌やCDのライナー・ノーツの執筆を中心に活動中。内外の音楽家へのインタビューも数多く手がけている。旧『レコード芸術』誌では、新譜月評で交響曲を担当。著書に『ON BOOKS advance もっときわめる! 1曲1冊シリーズ ②ストラヴィンスキー:《春の祭典》』(音楽之友社)がある。2016年からNHK-FMの『名演奏ライブラリー』で案内役を務めている。
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オーケストラ・ビルダーとして
さまざまな楽団で活躍

1906年4月9日に、ハンガリーのブダペストで生まれたアンタル・ドラティは、指揮者として膨大な数のレコーディングを残したことでも有名だ。古典派以降の作品を愛聴している本誌の読者諸兄のコレクションの中には、彼が指揮したディスクが含まれているに違いない。ブダペスト王立歌劇場やブダペスト・フィルで活躍したヴァイオリン奏者の子息として生まれたドラティは、フランツ・リスト音楽院で、コダーイとレオ・ヴァイネルに作曲を学び、バルトークにピアノを師事している。
ドラティには、75年に出版された自叙伝『Notes of Seven Decade』があり(2番目の著書となる『For Inner and Outer Peace』は没後の翌年刊行)、そこにはバルトークとの最初の出会いが記されている。6歳の時に、バルトークの《子どものために》からの4曲を与えられたドラティは、それまで学んでいた音楽と遠く隔たっていたために、当初、もの凄く難しく感じたことが書かれている。その後、父と出かけたコンサート・ホールの階段で、父親が「こんにちわ、バルトーク教授」と声を掛けたので、心臓が止まるほど驚いたという。ドラティの回想を引用させていただこう(出典は、ウェイン州立大学出版から81年に刊行された改訂版)。
「あなたの息子さんかい?」と尋ねた作曲家に対し、シャンドール・ドラティが「そうです。ほら、トーニ(アンタルの愛称)、バルトーク教授に、こんにちわと言いなさい」と促したので、アンタル少年は、お辞儀をしながら、もごもごと挨拶し、作曲家が手を差し出したので握手をしたとのこと。作曲家が「彼は音楽をやっているのかね?」と尋ね、父が「ええ、やっています」と答えると、バルトークは「あなたのようにヴァイオリンを弾くのかい?」と質問を発したことが記されている。父が「いいえ、彼はビアノを習っています」、バルトークが「彼は上手かい?」、父が「もちろんです。あなたの作品も弾いていますよ」、バルトークが「うん、いつか私のために弾いてもらわないといけないね」というやりとりをしたことが記載されている。この後、自叙伝では、ドラティがバルトークの面前で彼の作品を弾くことがなかったことや、ピアノの教授としてのバルトークが、バッハやベートーヴェンを重視したことが綴られているのだ。
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