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音楽評論家、スペイン文化研究家。1935年東京生まれ。少年時代よりスペイン・中南米の文学、音楽に興味を抱いて研究、1960年ごろより翻訳、雑誌での執筆、レコード解説などの仕事に就く。おもな著書に『フラメンコの歴史』『エル・フォルクローレ』(以上晶文社)、『スペイン音楽のたのしみ』(音楽之友社)、『約束の地、アンダルシア』『南の音詩人たち』(アルテスパブリッシング)、『なんでかなの記』(言言句句)、訳書にカーノ著『フラメンコ・ギターの歴史』(パセオ)、スビラ著『スペイン音楽』(白水社文庫クセジュ)ほか。1990年より日本フラメンコ協会会長。1985年より清里スペイン音楽祭を総監督として責任開催。1984年第3回蘆原英了賞受賞。2021年3月没。
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少年時代はヴァイオリン演奏

スペイン東北部バスク地方、ビスカヤ県の県都であるビルバオ。この市はビスケー湾に注ぐ大きな河ネルビオンの河口を約12キロさかのぼったところにあり、地の利がある上に良港も持っている。したがって中世後期から製鉄、造船、羊毛などを扱う商工業などが栄えた。外へ向かって開かれた町だけに、スペインの中では早くから小市民的文化も興ったところで、音楽的な伝統もひとかどのものがある。R.フリューベック・デ・ブルゴスが、故A.アルヘンタの後任としてスペイン国立管弦楽団を率いる前に、ビルバオ交響楽団の指揮棒を取っていたことを想起される人もあろうか。
それよりずっと昔、1804年のこと、ビスカヤ県下に生まれたバスク系の男、フアン・シモン・デ・アリアーガが、ビルバオに来て雑貨屋を開いた。若い頃、村の教会でオルガニストを務めたというフアン・シモンはたいへん音楽好きで、2人の息子たちにも早くから音楽のあれこれを教え込んだ。下の息子、彼がビルバオに住んで2年目の1806年に生まれたフアン・クリソストモは、幸いにも、すぐさま尋常でない才能を示した。聖堂でヴァイオリンを弾いていたファウスト・サンスという人に習って、フアン・クリソストモは、程なく人前で演奏できるようになったのである。近隣の音楽好きな家に出かけて、少年はヴァイオリンを手に、合奏を披露しては喝采を博した。
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