名演奏家再批評 File03

オイゲン・ヨッフムと対話する①

連載名演奏家再批評
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名演奏家再批評_File03_ヨッフム_ver.2

 金曜連載「名演奏家再批評」。このコーナーは、新世代の書き手がクラシック音楽の名演奏家を各4回のリレー形式で論じるものです。
 第3弾では、レコード芸術ONLINEの新譜月評担当筆者で、ブルックナーを中心とする音楽分析がご専門の石原勇太郎さんが、オイゲン・ヨッフムについて、その演奏論をもとに「架空の対話」をしながら再批評していきます。全4回のうち、1回目は無料公開、2回目以降は有料公開です。

■Editor’s Note
オイゲン・ヨッフム Eugen Jochum(1902~87)は、ドイツ・オーストリアにおける演奏伝統の正統的継承者として広く受容されてきたドイツの指揮者。幅広いレパートリーに演奏・録音の足跡を遺しているが、とりわけ、2度の交響曲全集と宗教曲集の録音に取り組んだ、ブルックナーの権威として知られる。彼自身による演奏論にかかわるテキストも複数残されている。

Text=石原勇太郎

評価の食い違い、そして「正しい」テンポ

————–ここまで無料公開————–

 オイゲン・ヨッフムの演奏について書くにあたり、彼のブルックナー演奏に関する2つの批評をまず読んでみた。そこに興味深い違いがあったので紹介しよう。

彼[ヨッフム]には、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュのように、やたらとルバートを入れたり、思いがけないところでテンポを大きく変化させたりする癖がないので、全体の形、輪郭を知るのに妨げられることはない。
——吉田秀和『吉田秀和作曲家論集1 ブルックナー、マーラー』(音楽之友社, 2001年)19頁(初出:1969年)

彼[ヨッフム]はブルックナーの演奏においては、あまりテンポを動かすべきではないと主張するが、実際に彼の表現を聴くと、ほかの指揮者よりは格段にテンポの変化をあたえている。その点ではフルトヴェングラーに次ぐだろう。
——宇野功芳『宇野功芳著作選集1 モーツァルトとブルックナー』(学習研究社, 2002年)324頁(初出:1973年)

A 吉田秀和『吉田秀和作曲家論集1 ブルックナー、マーラー』 単行本:ISBN978-4-276-22091-1 C1073|2001年10月 音楽之友社

B 宇野功芳『宇野功芳著作選集1 モーツァルトとブルックナー』 単行本:ISBN978-4-054-01768-9 C0037|2002年9月 学習研究社

 実は吉田秀和も宇野功芳も、ヨッフム自身が書いたブルックナー演奏に関するエッセイを読んだうえで、引用した評価をしているようなのだ。それにもかかわらず、彼らのテンポに関する評価は正反対である。しかし、わたしたちが今月の連載をとおして考えていくのは、彼らの批評の正しさや良し悪しではない。
 ここでは、ヨッフム自身による演奏論を参照しながら、演奏様式が多様化したいまを生きるわたしたちの耳でヨッフムの演奏を聴き、そのうえで、その演奏から受ける印象がなぜ聴く者によって異なるのかを考えてみたいのだ。言わば、すでにこの世にはいないヨッフムとの架空の対話をこれからしていくことになる。これもまた、音楽の、そして名演奏家を批評することの楽しさのひとつだろう。

吉田と宇野がそれぞれ参照したオイゲン・ヨッフムの録音

1 ブルックナー:交響曲第5番〔ノーヴァク版〕

オイゲン・ヨッフム指揮バイエルン放送so
〈録音:1958年2月〉
[DG(S)4698102(9枚組,海外盤)]※『吉田秀和作曲家論集1』にて紹介されている交響曲全集のディスク。現在取扱なし
[グラモフォン(S)UCCG3995]※交響曲第5番のみのディスク。現行国内規格。ジャケ写とリンクはこちらのもの
【メーカー商品ページはこちら

2 ブラームス:ピアノ協奏曲第1番,同第2番,幻想曲集 Op.116*

エミール・ギレリス(p)オイゲン・ヨッフム指揮ベルリンpo
〈録音:1972年6月,75年8月~9月*〉
[DG(S)4474462(2枚組,海外盤)]※『宇野功芳著作選集1』にて紹介されているディスク
[グラモフォン – タワーレコード(S)PROC1988(2枚組)]SACDハイブリッド ※上記を含む現行国内規格。ジャケ写とリンクは後者のもの

 第1回の最後に、ヨッフムのブルックナー解釈の一部を紹介しておこう。

展開と解決を必要としているブルックナーの交響曲の均整の取れた緊張関係は、ときに多少変化することはあるものの、「正しい」基本テンポを求めています。[中略]原則として、後期ロマン派の官能的な音楽に求められる強いアッチェレランドやリタルダンドをブルックナーに適用するには注意が必要です。[中略]ブルックナーの音楽は、ハラハラする「激烈な」緊張の増大には耐えられません。その音楽は、ほぼ常に「大きく円を描くような動き」によって高められます。それはテンポの絶対的な規則性によってのみ、表現され得るのです。
——オイゲン・ヨッフム「ブルックナーの交響曲解釈」(1967年)(アーノルド・ホイットールの英訳【*】に基づいた筆者による翻訳:第2回以降も同様)

 この解釈を踏まえて、次回はブルックナーの《交響曲第5番》を聴いていこう。

【*】abruckner.comのページ(https://www.abruckner.com/articles/articlesenglish/jochum-eugen-the-interpretation-of-bruckner/)でPDFを参照。2026/3/4アクセス確認。

(オイゲン・ヨッフムと対話する②に続きます。2026年3月13日に更新予定です)

石原勇太郎|Yutaro Ishihara

博士(音楽学)。東京音楽大学を器楽専攻(コントラバス)で卒業後、音楽学に転向。同大大学院博士後期課程修了。専門は音楽分析、特にブルックナー作品の分析。作曲や指揮など、実践分野での活動も積極的におこなっている。著書『ブルックナーのしおり 生涯と作品へのアプローチ』(音楽之友社, 2024年)。

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