アニバーサリー作曲家レコ芸アーカイブ
特捜プロジェクト・アニバーサリー作曲家 2007年⑧

フンメル,ヨハン・ネポムク
Hummel,Johann Nepomuk(1778~1837)

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文・濱田滋郎(はまだ・じろう)

音楽評論家、スペイン文化研究家。1935年東京生まれ。少年時代よりスペイン・中南米の文学、音楽に興味を抱いて研究、1960年ごろより翻訳、雑誌での執筆、レコード解説などの仕事に就く。おもな著書に『フラメンコの歴史』『エル・フォルクローレ』(以上晶文社)、『スペイン音楽のたのしみ』(音楽之友社)、『約束の地、アンダルシア』『南の音詩人たち』(アルテスパブリッシング)、『なんでかなの記』(言言句句)、訳書にカーノ著『フラメンコ・ギターの歴史』(パセオ)、スビラ著『スペイン音楽』(白水社文庫クセジュ)ほか。1990年より日本フラメンコ協会会長。1985年より清里スペイン音楽祭を総監督として責任開催。1984年第3回蘆原英了賞受賞。2021年3月没。

ベートーヴェンと
ライヴァル同士

ヨハン・ネポムク・フンメルの作品はこんにち、けっしてひんぱんに聴かれるわけではない。しかし、少なくとも存命のあいだ、彼は疑いなく最大の作曲家の一人として遇されたばかりか、最高のピアニストとして重んじられた。神童として出発、モーツァルトの寵愛する“内弟子”となった彼は、ひところベートーヴェンとウィーン人士のひいき・・・感情を二分するライヴァル同士でもあった。後年ワイマールに住んでからはゲーテと親交を結び、当時の知識人のあいだでは「ワイマールヘ行くなら、ぜひゲーテを表敬訪問し、それからフンメルを聴いて来い」というのが決まり文句であった。すなわちフンメルは、疑いもなく超一流の芸術家だったのである。

さて、フンメルが生まれたのは1778年11月14日、処はプレスブルク(現ブラスティラヴァ)、没したのが1837年10月17日、処はワイマール。すなわち今年は彼の「没後170年」のアニヴァーサリーにあたる。ちなみに、お気づきの方も多かろう、10.17というのは、フンメルにとって次代を代表する名ピアニスト兼作曲家、ショパンが(彼より12年の後に)亡くなった日付でもある。ちなみに、ショパンは彼が18歳の頃、ワルシャワを訪れたフンメルの演奏および作品から少なからぬ影響を汲んでいるのである。命日を「ショパン忌」として偲ぶ好楽家は、せめて10年に1度位は、フンメルのことも併せて思い起してほしい。

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