特別寄稿特別企画
追悼・ブレンデル

アルフレート・ブレンデルとは何者だったのか
そのピアニズムを聴くディスク6選

PROC2408

 2025年6月17日に逝去したピアニスト、アルフレート・ブレンデル。1950年頃から行われた活発な演奏・録音は、彼の代名詞ともいえる独墺系のレパートリーを中心として、多くのクラシック音楽ファンの関心を呼び起こしました。卓絶のプレイヤーであると同時に、「アンチ」も存在していたブレンデル。彼のピアニズムとはあらためて、どのようなものだったのでしょうか。今回、相場ひろさんにご寄稿いただきました。

文:相場ひろ(フランス文学)

世界的ピアニストの、膨大な遺産たち

 20世紀を代表するピアニストのひとりであるアルフレート・ブレンデルが2025年6月17日、94歳で亡くなった。
 1931年、当時チェコスロヴァキア領であった北モラヴィアに生まれたブレンデルは、6歳でピアノを始め、家族とザグレブ、グラーツと各地を移り住みながら音楽を学び、グラーツでは音楽院に進んでもいる。その後ウィーンに赴いてウィーン音楽院に学ぶかたわら、演奏活動を開始する。1949年、ブゾーニ国際コンクールで4位入賞して後は演奏活動も本格化し、その後ほどなくしてレコーディング・アーティストとしての経歴もスタートする。デビュー録音は1951年、ジョナサン・スターンバーグ指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団と共演したプロコフィエフのピアノ協奏曲第5番であった。これは米ヴォックス・レーベルの制作で、以後同レーベルに大量の録音を発表し、広く注目を浴びるようになる。さらに1970年、フィリップスと専属契約を結ぶと、2008年に引退するまでにCDにして114枚分という膨大な量の録音を同レーベルに行い、世界的なアーティストとしての名声を確立した。それらディスクの内容は独奏曲から協奏曲、室内楽、歌曲伴奏にまでと多岐にわたる。引退後はマスター・クラスの開催などを通じて後進の指導に力を入れるとともに、文筆家として音楽をめぐるエッセイや評論などを執筆、刊行もした。

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