
異端と呼ぶもの、呼ばれるもの
2025年は、イタリア文化史にとって重要な節目。1925年1月3日に首相ベニート・ムッソリーニが独裁を宣言してから100年、1975年11月2日のピエル・パオロ・パゾリーニ暗殺から50年を数える年でもあります。
ムッソリーニ(1883~1945)はファシズムを確立した思想家・独裁者で、政教条約によってバチカンを独立国として承認、また指揮者トスカニーニと衝突したことも。
パゾリーニ(1922~75)は20世紀イタリアを代表する詩人・映画監督で、問題作の数々、保守・革新の両側から攻撃された政治観、カトリック教会から繰り返し批判された宗教観、さらに私生活での同性愛や悲惨な最期などで異端視されがちですが、近年、本国イタリアで再評価が進んでいます。
今回の記事ではこの対照的な2人にまつわる、(ほぼ)クラシック音楽の音源を、編集部が10+1点ご紹介します。
そう、もちろん、この生きている群れは、
いかに色褪せていようともやはり現実であり、
楽しく冒瀆的な敬虔をもって眺める者からすれば、
内側に神聖さの欠片が輝いている!
パゾリーニ「わが時代の信仰」(四方田犬彦訳)より
プッチーニ:トゥーランドット
オペラ《トゥーランドット》は、ジャコモ・プッチーニ(1858~1924)が未完のまま亡くなったあと、アルファーノが補筆をして、1926年にミラノ・スカラ座でようやく初演された作品だ。この公演には国家からの援助が絡んでいた。ムッソリーニも観覧するつもりでいたが、音楽監督のトスカニーニからファシスト党歌《ジョヴィネッツァ》の演奏が却下されたために欠席した。31年、トスカニーニはまた党歌の演奏を拒否して、暴徒による襲撃に遭う。このディスクには、アルファーノの補作初稿の完全版が収められている。トスカニーニが初演時にカットしたのは党歌だけではなかった。

プッチーニ:トゥーランドット(完全版)
アントニオ・パッパーノ指揮サンタ・チェチーリア国立アカデミーo. 同cho. ソンドラ・ラドヴァノフスキ(S:トゥーランドット)ヨナス・カウフマン(T:カラフ)他
〈録音:2022年2月~3月〉
[ワーナー・クラシックス(D)WPCS13842~3]SACDハイブリッド
ペロージ:ピアノ五重奏曲第1番,第2番,弦楽三重奏曲第2番
ロレンツォ・ペロージ(1872~1956)はやや無名だが、プッチーニが絶賛した、近代イタリア音楽の重要人物である。宗教曲から世俗曲まで膨大な作品を作曲したが、オペラはない。得意としたのはオラトリオだった。彼は、1903年から56年までバチカン・システィーナ礼拝堂の楽長を務めた聖職者であった。彼は着任直後からカストラートの廃止、ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナの規範化など、改革をつぎつぎに行った。彼の時代は、バチカンがムッソリーニと関わった時期とも重なる。29年、ピウス11世の在任時に、政教条約により永世中立国のバチカン市国が誕生した。(以後、バチカンはファシズム、ナチズムと距離を置きつつ、反共産主義・反革命の点では「敵」が一致し、黙殺の態度をとることもあった。)翌30年、ペロージはピアノ五重奏曲第1番を書いている。フォーレのような美しい手ざわりのなかに、不安な響きのある作品である。

ペロージ:ピアノ五重奏曲第1番,第2番,弦楽三重奏曲第2番
マッテオ・ベヴィラクア(p)ローマ・トレ・オーケストラ・アンサンブル〔レナード・スピネディ,河崎日向子(vn),ロレンツォ・ルンド(va),アンゲロ・マリア・サンティージ(vc)〕
〈録音:2021年4月〉
[Naxos(D)8574375(海外盤)]
ファーノ,シニガーリャ,マッサラーニ/チェロとピアノのための退廃音楽
イタリアにおいては、レスピーギ、ピッツェッティ、カゼッラなどムッソリーニと関わりのあった音楽家は少なくない。同時に忘れてならないのは、迫害を受けた作曲家が存在した事実である。退廃音楽(頽廃音楽)といえば、ナチスにより有害の烙印を押された音楽群だが、その魔の手はイタリアにものびていた。ムッソリーニが人種法を制定したのは1938年のこと、さらに43年にナチスの傀儡サロ共和国が登場すると、「退廃」は加速度的に排斥された。それぞれユダヤ系であるファーノ(1875~1961)は隠棲し、シニガーリャ(1868~1944)はゲシュタポに逮捕されるときに急死、マッサラーニ(1898~1975)はブラジルへ亡命する。これら3編のチェロ・ソナタから、戦間期イタリアでおこなわれた芸術的実験の諸相を垣間見ることができる。また、このアルバムには収録されていないカステルヌーヴォ゠テデスコやリエーティなどもユダヤ系であるため、国外逃亡を余儀なくされている。

ファーノ,シニガーリャ,マッサラーニ/チェロとピアノのための退廃音楽
〔グイド・アルベルト・ファーノ:チェロ・ソナタ,レオーネ・シニガーリャ:チェロ・ソナタ,レンツォ・マッサラーニ:ソナティナ〕
リッカルド・ペス(vc),ピエルルイジ・ピラン(p)
〈録音:2023年4月,2024年3月〉
[Tactus(D)TC870003(海外盤)]
ダッラピッコラ:囚われ人
ルイージ・ダッラピッコラ(1904~75)は、はじめムッソリーニを支持したが、しだいにその考えをあらため、反ファシズム、反ナチズムのアクションを盛んに行うようになる。彼の代表作のオペラ《囚われ人》は1949年にラジオ放送されたあと、50年にスカラ座で公衆初演された。16世紀スペインの聖職者による異端審問を題材とするオペラで、独裁体制下の理不尽への批判が込められている。ダッラピッコラといえば十二音技法。この作品でも、調性音楽の部分と対比的に使用されている。こう書くと、善良な人物を「調性」、抑圧者を「無調=十二音技法」で描いていると思われるだろう。しかしこの作品おいては逆である。多くの人びとが共鳴したように、絶望への扉は、甘くやさしく囁いたのだ。

ダッラピッコラ:囚われ人(演奏会形式)
キリル・ペトレンコ指揮ベルリンpo. ベルリン放送cho. ヴォルフガング・コッホ(Br:囚われ人)他
〈収録:2022年9月(L)〉
[ベルリン・フィル・デジタルコンサートホール]配信
ブルーノ・マデルナ:レクイエム
ブルーノ・マデルナ(1920~73)はイタリア前衛を代表する作曲家だ。青年期にパルチザンに参加してサロ共和国やナチス・ドイツに対抗し、1943年から45年にかけて投獄されるという経験をしている(イタリアでパルチザンに参加した音楽家には、ほかにグィード・カンテッリなどがいる)。46年、彼が26歳の時に《レクイエム》は作曲された。マデルナが前衛の手法を取り入れる前の作曲で、ヴェルディの名作を下敷きに、あくまで調性音楽の領域において、強烈な手立てが駆使されている。その後、共産党に入党することになる彼は、「レクイエム」をどのように捉えただろうか? 長らく散逸していた作品で、2009年に初演が行われた。このディスクには初演ライヴが収められ、20年(日本では22年)、作曲家の生誕100年を記念してリリースされた。

ブルーノ・マデルナ:レクイエム
アンドレア・モリーノ指揮フェニーチェ歌劇場o. 同cho. 他
〈録音:2009年11月(L)〉
[Stradivarius(D)STR37180(海外盤)]

【音楽之友社の関連書籍】
神と向かい合った作曲家たち
ミサ曲とレクイエムの近代史 1745-1945
西原稔 著
ISBN:9784276130357〈発行:2022年3月〉
日本では耳にすることがまだ少ない、ミサ曲やレクイエムを解説する一冊。ファシズムと対峙した作曲家の創作にも光を当てる。この時期のイタリアの例として、カゼッラ《ミサ・ソレムニス》とマデルナ《レクイエム》が紹介されている。
マスカーニ:カヴァレリア・ルスティカーナ
プッチーニ亡きあとのイタリア楽壇の有力者、ピエトロ・マスカーニ(1863~1945)は、スカラ座の音楽監督になりたくて、ムッソリーニに急接近した。出世作のオペラ《カヴァレリア・ルスティカーナ》は、初演から50年の1940年、アニヴァーサリーの公演がイタリア全土で行われた。パゾリーニもそれを聴いたかもしれない。マスカーニは独裁体制が終わるとファシズムへの加担について責任を問われ、全財産を没収されたあと、ひっそりと生涯を閉じた。このディスクには51年に彼が名誉回復されてから2年後、ミラノの教会で録音された《カヴァレリア》が収められている。サントゥッツァ(サンタ)役は、絶頂期のマリア・カラス(1923~77)が歌った。

マスカーニ:カヴァレリア・ルスティカーナ
トゥリオ・セラフィン指揮ミラノ・スカラ座o. 同cho. マリア・カラス(S:サントゥッツァ)他
〈録音:1953年6月,8月〉
[ワーナー・クラシックス(M)WPCS13162]SACDハイブリッド

【音楽之友社の関連書籍】
ONTOMO MOOK
ドラマティックな人生を駆け抜けた
奇跡の歌姫 マリア・カラス
音楽の友,レコード芸術 編
ISBN:9784276130357〈発行:2023年11月〉
生涯をオペラに捧げた伝説のディーヴァ、マリア・カラス。オペラ史上もっとも名の知られたソプラノ歌手は、この世を去ってから約50年経ってもなお、燦然と輝き続け、多くの人を魅了してやまない。カラスの生誕100周年を記念して、その人生を紐解く一冊。
王女メディア+王女メディアの島【映像】
ピエル・パオロ・パゾリーニ(1922~75)はイタリア・ボローニャに生まれた。イタリア軍将校の父、教師の母、パルチザンの弟、繰り返される引っ越し、そんな原風景にあって文学に親しみ、中学教師を務めながらフリウリ語(イタリア北東部の地方言語)で詩を書きはじめる。45年には独裁者ムッソリーニが処刑され、弟が内ゲバで殺される。彼は47年には共産党に入党した。しかし50年に猥褻の容疑(結果は無罪放免)で職を失い、党員資格をはく奪され、ローマの貧民街へ移る。ネオ・ファシズム、スターリニズム、消費社会、ブルジョワジー、教会、禁忌……さまざまなものについて、彼は繊細な懐疑の目を向けるようになる。やがて詩人・脚本家として頭角をあらわし、61年には『アッカトーネ』でついに映画監督デビューを果たすのである。
ギリシア悲劇の王女メディアの復讐譚に基づく、パゾリーニの監督第10作『王女メディア』(1969)は、マリア・カラスが出演したことでも話題となった作品である。サウンドトラックはパゾリーニらしく(?)地歌筝曲などカオスの極み。ケルビーニのオペラ《メデア》と同じ源泉だが、カラスは一切歌わない。ひたすら俳優に徹している。心身の不調に悩まされ、さらに恋人の裏切りに遭っていたカラスは、このとき歌えなくなっていた。併録のドキュメンタリー映像も必見。パゾリーニは、ゴシップ誌から結婚が囁かれるほど、晩年のカラスと親密であり続けた。75年、パゾリーニは『ソドムの市』の映画祭プレミアの直前に惨殺される。その2年後、カラスはパリの自宅で、奇しくも同じ53歳で不審死している。

【映像】
映画『王女メディア』(2Kレストア版)+ドキュメンタリー『王女メディアの島』
ピエル・パオロ・パゾリーニ(監督) マリア・カラス(主演)
〈制作:1969年〉
[アネック ANRM22287B]Blu-ray
ジョヴァンナ・マリーニ/ピエル・パオロ・パゾリーニのためのカンタータ
ジョヴァンナ・マリーニ:グラムシの遺骸
パゾリーニの友人のひとり、ジョヴァンナ・マリーニ(1937~2024)は、2000年に彼に捧げる自作のカンタータを録音した。05年には詩人としての彼の代表作『グラムシの遺骸』(1957)に付曲したアカペラ曲も録音している。グラムシとはイタリア共産党を設立したアントニオ・グラムシのことだが、その詩世界は、「左翼」のひとことで表すにはあまりにも多くの矛盾に満ちている。古楽歌手として出発し、フォーク・シーンの重要シンガー、さらに民俗音楽研究者の顔を持つマリーニは、パゾリーニの思索を、マドリガルや伝承歌を吸収した独自の様式で、力強く構築している。

ジョヴァンナ・マリーニ/ピエル・パオロ・パゾリーニのためのカンタータ
ジョヴァンナ・マリーニ,パトリツィア・ナジーニ,フランチェスカ・ブレスキ,パトリツィア・ボヴィ(Vo)
〈録音:2000年11月(L)〉
[Nota(D)CD 345(海外盤)]廃盤
※iTunesやQobuzから配信音源を入手できる

ジョヴァンナ・マリーニ:グラムシの遺骸
ジョヴァンナ・ジョヴァンニ指揮 アルカントcho.
〈録音:2005年11月(L)〉
[Block Nota(D)BN608(海外盤)]廃盤
※iTunesやQobuzから配信音源を入手できる
コレスポンデンス Vol. 1
サウンド・アート集団のサウンドウォーク・コレクティヴと、「クイーン・オブ・パンク」の異名をもつパティ・スミス(1946~)のコラボレーション・アルバム。フィールド・レコーディング素材を駆使した即興的なアプローチで、パゾリーニの死と『王女メディア』へのオマージュを行っている。目下、この音源などに基づく展覧会『MOT Plus サウンドウォーク・コレクティヴ & パティ・スミス|コレスポンデンス』(東京都現代美術館のページ)が開催中だ。期間は2025年6月29日まで。興味をもたれた方は、ぜひ足を運んでほしい。すべてを観るのに2時間はかかるので、余裕をもって行かれることをおすすめする。

コレスポンデンス Vol. 1
〔サウンドウォーク・コレクティヴ & パティ・スミス:パゾリーニ,メディア〕
サウンドウォーク・コレクティヴ(エレクトロニクス他)パティ・スミス(Vo)
〈制作:2018年~2024年?〉
[Bella Union]配信
※iTunesやQobuzから配信音源を入手できる



編集子は5月の初めに展覧会を訪れた。インスタレーション展示で、オブジェや、ライトボックスの中身も見逃せない。トピックはパゾリーニだけではなくて、タルコフスキーやチェルノブイリ、海洋汚染、山林火災など多岐にわたる。2枚目は、会場の入り口にあった『コレスポンデンス Vol. 1』のLP盤。備え付けのシステムで試聴することができる。展示のほぼ全ては撮影不可だった。3枚目は美術館のある木場公園のハト。あの日はタルコフスキーの映画みたいな天気だと思ったけれど、写真でみるとそうでもない。
J.S.バッハ:マタイ受難曲 BWV.244
最後に紹介するのはJ.S.バッハ《マタイ受難曲》。パゾリーニとも大いに関係する楽曲である。監督第1作『アッカトーネ』(1961)は、戦後イタリアの貧民街で娼婦のヒモとして暮らす青年を描いた。ネオレアリズモやヌーヴェルヴァーグにも似ているが、どれとも違う。特徴の1つが、冒頭のシーケンスから支配的に使用される《マタイ》の終曲〈われら涙流しつつひざまずき〉である。ろくでなしの破滅を社会の犠牲として捉え、受難劇として昇華しようという試みだったのかもしれない。《マタイ》を、パゾリーニが「ファシズム」になぞらえて敵視した消費社会から、ふたたび人間の側へ取りもどす一つの策略だ、という仮説は性急だろうか。
ここに挙げるディスクは、『アッカトーネ』と同じ頃、1960年~61年にレコ―ディングされたクレンペラー&フィルハーモニア管の、逃げ出したくなるほど陰鬱な演奏を収めている。(余談であるが、指揮のクレンペラーはユダヤ系で、ドイツからアメリカへ亡命し、イエス役のフィッシャー゠ディースカウはドイツ兵としてイタリア戦線で従軍中に連合国軍に捕らえられ、捕虜生活を送った。)ダッラピッコラの《囚われ人》やパゾリーニの諸作品のように、甘さ、やさしさを拒絶する、正統で異端の録音芸術である。

J.S.バッハ:マタイ受難曲 BWV.244(全曲版)
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニアo. 同cho. ディートリヒ・フィッシャー゠ディースカウ(Br:イエス)他
〈録音:1960年11月,1961年1月,4月~5月,11月〉
[ワーナー・クラシックス(S)WPCS13138~40(3枚組)]SACDハイブリッド
Text:編集部(H.H.)
参考書籍:
松本佐保『バチカン近現代史 ローマ教皇たちの「近代」との格闘』(中公新書、2013年)中央公論新社のページ
ピエル・パオロ・パゾリーニ『パゾリーニ詩集 増補新版』四方田犬彦訳(みすず書房、2024年)みすず書房のページ