
このコーナーでは編集部が、資料室に眠る旧『レコード芸術』の複数の記事を、あるテーマをもとに集めて、ご紹介していきます。
新テーマは「レコード芸術が旅をした」。東京をねじろとする『レコード芸術』ですが、誌面で展開されたまなざしは、東京近辺に完結するものでは決してありませんでした。
第3弾として、1964年5月号に掲載された、志鳥栄八郎さんの『九州地区コンサートかけある記』をお届けします。志鳥さんは、レコード会社と協力して、全国をまわり、録音芸術を解説する「コンサート」を繰り返し行っていました。
食道楽の評論家による、歯に衣着せぬ旅日記と、豊富な写真のなかに、当時のひとびとの様子や、クラシック音楽受容の一端を垣間見れます。
【関連記事】
・志鳥栄八郎『北海道コンサートかけある記』(1963年1月号初出)
・志鳥栄八郎『山陽・瀬戸内コンサートかけある記』(1963年8月号初出)
※文中の表記・事実関係などはオリジナルのまま再録しています。(今日では不適切と思われる表現も含まれますが、原典を尊重してそのまま掲載いたします)
※登場するレコード店、飲食店等は、現在閉業している場合がございます。ご了承ください。
※記事中の写真は、当時随行した『レコード芸術』編集長、辻修氏の撮影によるものです。

復旧なった熊本城
フィリップス・レコードとタイアップして、一昨年から全国走破している、レコード・コンサート・キャラバンの第3回は、南国の九州地区(小倉、長崎、熊本、宮崎、鹿児島)である。
これは、キャラバンの講師志鳥栄八郎氏の綴る「九州地区かけある記」 。
1964年3月24日(火) 福岡・北九州
6時半かっきりに迎えの車がきた。ゆうべは1時間半ばかりうとうととしただけで、出発まぎわまでに短い原稿を3本仕上げる。
羽田発7時50分のジェットで、一路九州へ。もちろん、辻副部長もいっしょである。彼も4時間ぐらいしか寝ていないという。名古屋の上空をすぎたあたりから、猛烈に眠くなった。
「きょうのスケジュールは人殺しみてえなもんだから、ちっとでも寝ようや」
それからのわたしは、どうやらそうとう豪快なイビキをかきながら寝ていたらしい。
板付空港の空は、いまにも泣きだしそうだった。わたしのからだも、泣きたいくらいに疲れていた。ピクターの鷹取第二販売課長が、ご親切にも帝国ホテルに部屋をとっていてくれたが、ホテルでのんびりと寝ていたのでは取材の時間がなくなってしまう。そこで、空港からNHKへ直行した。つい最近、局長に就任された安藤膺氏は、音楽ペンクラブの会員である。それに酒豪で、芸術を心から愛するおかたであるから、この尊敬すべき大先輩に、ひとこと仁義をきっておかなければ気がすまないからだ。
九州の音楽ファンのかたがたは、この新局長の就任をよろこびとしなければいけない。安藤さんは、幸田露伴の甥にあたるかたで、母堂はわが国ヴァイオリン界の先駆者故安藤こう(芸術員会員)さんである。
「この秋にはですね、NHK交響楽団の九州巡演を計画しています」
と語気を強められる。安藤さんのことである。おそらく在任ちゅうは、九州の音楽ファンのために、いろいろと意義のある事業を打ってくれるであろう。
「どうですか今夜、博多一の水たきで、いっぱいやりませんか……」
とたんにノドが鳴った。
「それどころじゃないんです。きょうは、12時から座談会、2時20分の列車で小倉へ、4時からまた座談会、そして、6時からコンサート。むちゃくちゃですよ、まったく……」
「そりゃたいへんだ。あなただからつとまるけれど、N響だったら断わられちまう。こんどくるときにゃ、ひと晩あけておいてくださいね……」
よしきた、合点、ということで、こんどはビクターの営業所へ横っとび、塩村所長をまじえて、九州キャラバンの全スケジュールを詳細に打ちあわせてから、座談会場へ。
このコンテンツの続きは、有料会員限定です。
※メルマガ登録のみの方も、ご閲覧には有料会員登録が必要です。
【ログインして続きを読む】下記よりログインをお願いいたします。