ブーレーズ最高!特別企画
生誕100周年

秋山邦晴「ピエール・ブーレーズ または指揮台のうえの〈進行中の作品〉」①

 20世紀を代表する作曲家そして指揮者、ピエール・ブーレーズ(1925~2016)は、ことし2025年に生誕100年を迎えました。レコード芸術ONLINEでは、その足跡をたどる特別企画シリーズ「ブーレーズ最高!」を開始いたします。
 第1弾として、『レコード芸術』1966年7月号に掲載された、秋山邦晴さんのブーレーズ論を、2回にわけて再掲します。それは『ベルク:ヴォツェック』(1966年、CBS)リリース前夜のことでした。

 後編はこちらから。(2025年6月17日公開予定)

 ※文中の表記・事実関係などはオリジナルのまま再録しています。(今日では不適切と思われる表現も含まれますが、原典を尊重してそのまま掲載いたします)
 ※一部の括弧類は現在のレコード芸術ONLINEの表記にかえてあります。

 『ハイ・フィデリティ』誌の最新号(May 1966)に、米コロムビアが数ヶ月後に発表する予定だといわれるブーレーズの新吹込、ベルクのオペラ《ヴォツェック》の録音風景のルポルタージュがでている。かなりくわしく報じていて、なかなか興味深い記事だ。たとえば、こんなふうに書かれている。

 ……そのステレオ効果は、プロデューサーのトーマス・シェパードが「直列」と名づけたステージの5本のマイク(歌手用)の偉力そのものをおもわせ、また歌手たちがやるアブストラクト・バレエといったものをおもわせる。わたし(駐・筆者のロイ・マクマレン)は、とくに第2幕第1場がおもしろかった。ここは、マリーがゆうべ鼓笛隊長からもらった新しい耳飾りをつけて鏡にむから。そこへ給料をもって戻ってきたヴォツェックに、それをみつけられてしまう──あのシーンである。
 イザベル・シュトラウス(マリー役)は、重い楽譜をやっとさしだしてもちこたえながら、片手では髪をなでつけるしぐさをする。そしてすぐ第2マイクロフォンへと走りよって、短いことばを唱いこんどは第2マイクの方(舞台の上手)へ急がしく走っていく。ウォルター・ベリー(ヴォツェック役)が、第3マイクに近づいてくる(給料をもって家へ入ってくるところだ)。そしてかれは、マリーといっしょに、第1マイクの方(舞台上手)へと移動する。ついで下手へとうごいて全部のマイクの列の前を通りすぎていく。いっぽうマリーは第3マイクへとかけ寄る。そして楽譜をめくり、斜めうしろをむいて指揮者のほうをみつめ、それから〈私は悪女?〉を唱う。そしてやがて、ハ長調のコードをオーケストラが演奏する。ベリーは、狂暴なしかめっつらをして、シュトラウスのためにお金をかぞえるまねをする。だが、そのときは、もう彼女は腕時計をみながら、しずかに楽屋にコーヒーをのみにいってしまった。(中略)
 ……録音の雰囲気はくつろいだ、親しみのあるものだった。しかしメンバーたちは、つねに丁寧なこまかい指示と特別の批評をうけた。指揮者ブーレーズは、オーケストラの楽員とはフランス語で、どんな細部にわたってもディスカッションした。そしてミキシング・ルームの技師や、また歌手たちには、流ちょうに英語、ドイツ語で意見を交換しあった。
 (中略)オーケストラの態度について、あるカメラマンはこう語ってくれた。
 「私はもう何年もこうした録音にたちあっているが、フランスの楽員をこんなにみごとに手のうちにしてしまった指揮者は、ブーレーズのほかにはフリッチャイぐらいなものでしたよ」

ベルク:ヴォツェック

ピエール・ブーレーズ指揮パリ・オペラ座o.、同cho.(ジャン・ラフォルジュ指揮)、同児童cho.(ジャン・ペノー指揮) ヴァルター・ベリー(Br:ヴォツェック)他
〈録音:1966年1~3月〉
[CBS(S)77393(3枚組,海外盤)]初出LP

※単体では廃盤だが、CD-BOX『The Complete Columbia Album Collection』(Sony Classical)に収録されている。以下はそのリンク

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指揮者としてのブーレーズ

 1963年の秋、ピエール・ブーレーズはこのベルクの《ヴォツェック》を指揮して、パリ・オペラ座でフランス初演した。これは当時、ちょっとしたセンセーショナルな出来事として大きな話題になった。
ともかく若い前衛作曲家が、指揮者として由緒あるパリ・オペラ座に乗りこむというのだから、これは話題になるのがあたりまえのことかもしれない。
 ぼくはそのころアメリカにいた。ぼくとおなじように招待されて、フランスから作曲家のブークレシェリエフと若い批評家クロード・サミュエルがあとからやってきた。このふたりから、ぼくはブーレーズのこの《ヴォツェック》上演の模様をきかされたのである。
 ともかく1年も前からブーレーズがオペラ座を指揮する、それも《ヴォツェック》のような大曲を上演するというので、ひとびとの大変な期待がかかっていたらしい。ところがこの大がかりの上演は、期待を上まわるすばらしい成功で、“指揮者”ブーレーズの名声は、いちやく王様みたいになった、とサミュエルは話していた。
 フランスの若き前衛作曲家ピエール・ブーレーズ(1925~)は、第2次大戦後にあらわれたいわゆるアプレゲールの新音楽の代表的な存在として、つねに最も輝かしい活動ぶりをしめしてきた。一時は、ドイツのシュトックハウゼン(1928~)イタリアのノーノ(1924~)とともに、前衛の三羽烏などと呼ばれたこともあった。そのかれが、このところ、こうしてすっかり指揮者として名をあげてしまっている。それも作曲家の余技や片手間の仕事としてではなく、いまや指揮者として転向したのではないかといわれるくらい、そちらのほうで引っぱりだこの人気である。この夏には、ついにバイロイト音楽祭から誘いの手がさしのべられて、《パルジファル》の上演を指揮することになっている。
 ぽくたちも、ブーレーズの指揮者としての活躍は、1954年に創設されたパリの前衛音楽コンサート「ドメーヌ・ミュジカル」の毎回の指揮でも知っていたし、すでにかれのLPも何枚かある。しかしこれらは現代音楽の指揮者としてのブーレーズであって、古典から現代までの正統的な指揮棒をふるブーレーズの貌ではなかった。
 いまぼくの机の上には、かれが1964年のフランスA・C・Cディスク大賞を受賞したストラヴィンスキーの《春の祭典》のLP(コンサート・ホール)が置いてある。これをきくと、かれがいかにすぐれた本格的な指揮者かということがよくわかる。と同時に、ぼくはひとつのおもいでにふけるのだ。
 いまから8、9年もまえの日本では、かれの指揮した自作《マルトー・サン・メートル》(ヴェガ盤)やその他2、3のLPで、かれの指揮者としての力量があれこれいわれていた。しかし総じて、やっぱり作曲家の棒だね、というところに結論はもっていかれるようだった。
 1959年の秋、ぼくは西独ドナウエッシンゲン現代音楽祭で、はじめて指揮者としてのブーレーズの実演をきいた。
 かれはイタリーの作曲家ルチアノ・ベリオの《アレルヤⅡ》やハウベンストック=ラマティの《夜の小さな音楽》その他現代作品を数多く指揮した。そのなかでかれはバルトークのあの奇怪な色彩にあふれた《不思議な支那官吏》をとりあげたのである。これをきいて、ぼくは日本人のかれについての評価が、いかにあいまいであるかを知らされた。第一、作曲家の棒というが、残念ながら、かれは指揮棒をもたないで、素手で指揮していたのである。まあそんなことはどうでもいい。ぼく自身は、この曲は以前からLPで、いろんな指揮者の表現によってきいていた。ところがブーレーズの指揮は、そのどれよりも熱っぽく、そのどれよりも色彩ゆたかなすばらしい表現であった。ぼくははじめてこの曲のほんとうの表現をみたようにおもった。かれは南西ドイツ放送局(故ロスバウトが常任指揮者だった)、のあのすこし硬質なひびきを、自在に色彩のパレットのうえで混色してしまって、どすぐろく渦まく熱気と、カラフルな色彩のいきづきで、この曲のすばらしい迫力を力演してみせたのである。ぼくはたまたまそこで一緒になった作曲家の戸田邦雄さんや指揮者の小沢征爾君と、興奮してその夜語りあったのを想い出す。
 その後、ぼくはなんどもかれの指揮ぶりを眼のまえにした。「ドメーヌ・ミュジカル」で、またベルリンで……。

ピエール・ブーレーズ&ドメーヌ・ミュジカル 1956-1967
〔ブーレーズ:ル・マルトー・サン・メートル(1957年録音),シェーンベルク:月に憑かれたピエロ(1962年録音),他〕

ピエール・ブーレーズ指揮ドメーヌ・ミュジカル 他
〈録音:1956~67年(一部L)〉
[DG(M)(S)4811510(10枚組,海外盤)]

※現在は廃盤だが、iTunesやQobuzから配信音源を入手できる

 そして7年後のいま、机の上にある《春の祭典》のLPは、そのころのブーレーズとはかなり変わっているようだ。実にうまい。特長のある指揮者だ。しかしこのLPには《不思議なマンダリン》のあの熱気はないようだ。いや、だがあの色彩感はやっぱりある……。そんな感想にふけっているところなのである。
 しかし指揮者ブーレーズのことは、あとまわしにしよう。やはり作曲家ブーレーズを紹介しておくほうが本筋かもしれないから。

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