キーシン横浜リサイタル・ライヴ
〔ショパン:夜想曲第14番,ピアノ・ソナタ第3番,幻想曲,マズルカ第17番・第20番・第32番・第39番・第34番・第41番,スケルツォ第2番,ビショップ=三枝成彰編:埴生の宿〕
エフゲニー・キーシン(p)
〈録音:1986年10月(L)〉
[キングインターナショナル-ビクターエンタテインメント(D)KKC124]SACDハイブリッド
キーシン・サントリーホール・リサイタル
〔シューマン:アラベスク,同:交響的練習曲,スクリャービン:ピアノ・ソナタ第3番,ショパン:舟歌,夜想曲第12番,リスト:ハンガリー狂詩曲第12番,J.S.バッハ:シチリアーノ,スコットランド民謡(キーシン編曲):螢の光〕
エフゲニー・キーシン(p)
〈録音:1988年9月(L)〉
[キングインターナショナル-ビクターエンタテインメント(D)KKC123]SACDハイブリッド
さくらさくら/夏の思い出 キーシン(編曲)ピアノ版 日本の愛唱歌集
〔さくらさくら,おもちゃのチャチャチャ,城が島の雨,小さい秋みつけた,むすんでひらいて,夏の思い出,ちょうちょ,雪の降る町を,かあさんの歌,浜辺の歌,螢の光〕
エフゲニー・キーシン(p)
〈録音:1988年2月〉
[キングインターナショナル-ビクターエンタテインメント(D)KKC125]SACDハイブリッド
10代半ばにして既に巨匠の風格も漂う
“天才少年” の感性が鮮やかに蘇る
早熟の天才、エフゲニー・キーシンが15歳~16歳(1986~88年)でレコーデングした3点の音源が一挙に(SACDとして)再リリースされた。
キーシンは1971年生まれ。彼の名が一気に広まったきっかけは、キタエンコ&モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団と共演したショパンのピアノ協奏曲のCDだ。そのときキーシン12歳。その後、日本でも彼の存在が少しずつ知られるようになり、1986年に初来日を果たす。当時は旧ソ連時代。彼にとって “西側” デビューとなったのが、神奈川県民ホールでのリサイタルだった。
その時のキーシンの演奏は、日本では衝撃をもって迎えられた。音楽の完成度が高く、演奏解釈も15歳の少年とは思えないほどであった。当時はショパン国際ピアノ・コンクール優勝者のスタニスラフ・ブーニンと比肩するほどの人気を獲得。「キーシン横浜リサイタル・ライヴ」は、その時のライヴ録音。強靭な指から繰り広げられる驚異的な演奏技巧もさることながら、作品を奥深く追究し、ショパンの《夜想曲第14番》や《ピアノ・ソナタ第3番》を詩情豊かに描き上げ、メロディをたっぷりと歌い上げていく姿には、若くして巨匠のような堂々とした風格が漂う。
「キーシン・サントリーホール・リサイタル」は1988年に開催されたサントリーホールでの公演で、17歳目前の演奏。シューマン《交響的練習曲》は、遺作の変奏を交えての演奏。テンポ運びや指の瞬発力に、時おり少年キーシンの面影を垣間見る思いがする。30数年を経たこんにちでも、解釈や奏法などこれほど成熟した同年代のピアニストに出会うことはなかなかない。そして、クライマックスへ向けて音楽を高揚させ、昂る感情をいとわずその演奏に傾注していく。そのキーシンの熱いハートに心揺さぶられる。
「日本の愛唱歌集」は、1988年の来日よりも前の時期の録音。ライナーノートによると、当時のディレクターが100曲ほどの日本の歌についてタイトルだけをキーシンに伝え、そのヴォーカル譜を渡したという。その中から、彼は20曲を即興的に演奏した。ジャズ風のアレンジを取り入れられた曲もあり、16歳の彼の鮮やかな感性とその天才ぶりを改めて示した一枚。
道下京子 (音楽評論)
協力:キングインターナショナル