
今年2025年に生誕150年を迎えたヴァイオリニストそして作曲家、フリッツ・クライスラー(1875~1962)。今回の記事では、《中国の太鼓》の自作自演5種類の聴き比べなどを通して、演奏家クライスラーの魅力を深めます。執筆は話題の新刊『フリッツ・クライスラー 変幻自在なヴァイオリニスト』の翻訳者、畑野小百合さんです。
Text=畑野小百合(音楽学)

【音楽之友社の新刊書籍】
フリッツ・クライスラー 変幻自在なヴァイオリニスト
マティアス・シュミット 著/畑野小百合 訳
定価:2,970円 (本体2,700円+税)
ISBN:9784276215351
〈発行:2025年10月〉
20世紀を代表するヴァイオリニスト・作曲家、フリッツ・クライスラー(1875–1962)。比類ない音色で世界中の聴衆を魅了し、《愛の喜び》《美しきロスマリン》などの楽曲は、クラシック界を超えて愛され続けている。
世界的に成功した音楽家
甘美で艶やかな音色、胸の奥底を震わせるようなヴィブラート、心地よく身を委ねたくなるポルタメントに、心躍るようなリズム。一度聴いたら忘れ難い特徴をもつヴァイオリン演奏によって、フリッツ・クライスラーは20世紀前半の両大戦間期に時代の寵児となった。彼は、ヴァイオリニスト=コンポーザーとして多くの作品も生み出した。同じウィーンのユダヤ人街で生まれた5ヶ月年長のシェーンベルクとは対照的に、彼は前衛を追い求めず、大衆的な俗っぽさや感傷性を嫌うこともなく、過去の作曲様式や音楽的素材を柔軟に取り入れて音楽を書いた。彼にとって、決死の覚悟で音楽史の新しい局面を切り拓くことなど、関心の枠外にあった違いない。彼の人生は、幸福な音楽体験の追求と共有に向けられていた。実演と録音、そして音楽作品を通して、2つの大戦に見舞われた激動の時代に彼は大きな慰めをもたらし、その芸術は世界的な成功を収めたのである。
マイクの前のクライスラー
クライスラーの気さくで謙虚な人柄については、さまざまなエピソードが残されている。録音関係で興味深く思われるのは、長年EMIのレコーディング・エンジニアを務めたエドワード・ファウラーの回想だ。彼は1930年代に、シュナーベルによるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集と、クライスラーとフランツ・ルップによるベートーヴェンの(ヴァイオリン・)ソナタ全集の録音を担当したが、レコーディングの様子は実に対照的であったという。シュナーベルが録音環境について終始文句を言い、録り直しを繰り返したのに対し、クライスラーはいつも静かで気分にムラがなく、スタジオには音の出ないスリッパを自ら持参し、良いレコードを作ることにこの上なく協力的であったという。
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