連載

トーキョー・モデュレーション 第2回/沼野雄司

ボレロ・ボレロ・ボレロ

「つっかえたわ」「大丈夫、これからだ」「ちがう、レコードのことよ、直してよ」

――映画『テン』より

1. ボレロで撹乱する

 のっけから他社の雑誌の話で恐縮なのだが、『モーストリー・クラシック』誌で毎月、「20世紀音楽 ちょっと奇妙なクロニクル」という小さな連載をやっている。
 20世紀を1901年から一年ごとにたどる中で、その年の音楽における最重要トピックを挙げるというもので、つまりは音楽史年表の一種ではある。ただし、ふつうならば「シェーンベルクが無調の楽曲を書く」とか「スクリャビン死去」とかいった項目が並ぶはずのところを、こちらでは「朝鮮語の唱歌が半島にこだました(1910年)」とか「プルーストが架空のソナタを響かせた(1907年)」とか「タダで音楽が聴けるようになった(1920年)」といった、少々奇妙なものばかりが並んでいる。
 攪乱したいのだ。
 できるかぎり、現在当たり前だと思われている音楽史を乱したい。壊すほどの能力はないけれども、ちょっとだけでもずらしたい。なによりこのクラシック音楽という業界はトートロジーの巣窟であり、当たり前のことを当たり前に確認しただけで、何かが語れたと思っているひとが多すぎる。
 たとえば1928年。いったいこの年に何が起こったか。実はこの年にはワイル《三文オペラ》、ガーシュウィン《パリのアメリカ人》、そしてシェーンベルクの《管弦楽のための変奏曲》が誕生している。不思議な「当たり年」なのだ。それぞれ、まったく違った意味で重要な作品だから、多分、多くの批評家は、このうちのどれかを選ぶのではなかろうか。
 一方、わたしの連載では「やけのやんぱちが新しい音楽世界を産んだ」と題して、ラヴェルの《ボレロ》の誕生をこの年のトピックとして選んだ。
 まあ、それもありかな、とクラシックファンのあなたは思ったはずだ。現在に至るまで大人気の楽曲であるし、ひとつのリズムとひとつのクレッシェンド、そして2つのメロディが延々と交替しながら続く点で、きわめて個性的な楽曲だ。管弦楽法も面白い。
 たしかにどれもユニークなアイディアだとは思う。しかしわたしがもっとも重要だと思うのは、これらの要素ではない。もっと大事なことが他にある。
 それはこの曲が最後まで等速で進むことだ。

『モーストリー・クラシック』の12月号は、ブルックナー特集。わたしの連載は1931年、1932年、1933年のトピックを扱っている。
それにしても、こんなところで他誌の書影を載せるという掟破り。これをかなえてくださったキヨモト編集長はさすが懐が深い……。

 

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