ラヴェルと○○特別企画
ラヴェルと○○

ラヴェルとブーレーズ
日本はそれをいかに聴いたか

ラヴェルとブーレーズ_スライド

 《ダフニスとクロエ》、《ラ・ヴァルス》、《ボレロ》……ラヴェルのオーケストラ曲で、スタンダードなものを聴いてみようと思ったとき、人にすすめるとき、あなたは何を選びますか?
 日本では、ラヴェルといえばクリュイタンス&パリ音楽院管盤、という時代が長く続きました。しかし20世紀末に一変、ブーレーズ&ベルリン・フィル盤が「定盤」として躍り出ます。
 今回の記事では、相場ひろさんのガイドで、日本でのブーレーズ゠ラヴェル受容をふりかえります。大まかに1970年代、90年代の2度に分けてラヴェル作品を録音したブーレーズ。本邦のクラシック音楽リスナーは彼の「ラヴェル」を、いかに聴いてきたのでしょうか。

文=相場ひろ(フランス文学)

1970年代:「現代音楽の人」がラヴェルを振った

ピエール・ブーレーズの指揮になるモーリス・ラヴェルの録音が初めて日本に登場したのは1972年のこと、69年から翌年にかけて収録されたクリーヴランド管弦楽団との共演による管弦楽曲集であった。CBSはこれを第1弾としてさらに3枚のLPを76年までにリリースし、ラヴェルの管弦楽曲集を完成させる。ただし第2弾以降はオーケストラが、ブーレーズが当時音楽監督を務めていたニューヨーク・フィルハーモニックに変更されている。またこの間にクリーヴランド管と共にフィリップ・アントルモンによるラヴェルの左手のための協奏曲も録音していた。なおLP時には《ボレロ》のみ収録されながら未発表であったが、これは85年に管弦楽曲全集として再発・CD化された際に初めておおやけにされたと記憶する。また70年代には同じCBSに管弦楽・室内楽伴奏による歌曲集もさまざまな歌手を集めたアルバムとして録音されたけれども、こちらも国内リリースは84年であった。

当時のブーレーズは作曲家としての名声が高く、リスナーとしては指揮者としての活動は彼の余技であったようにとらえる向きの方が多かったのではなかろうか。それはラヴェル以前の彼の録音が、彼が敬愛して止まないクロード・ドビュッシーを除けば、ストラヴィンスキーや新ウィーン楽派、あるいはバルトークといった、当時の定義でいう「現代音楽」の領域に集中していたことに一因があった。彼はその他にもベートーヴェンの交響曲第5番やベルリオーズの《幻想交響曲》なども録音していたものの、それらはどちらかと言えば好事家向き、悪く言えばゲテモノ的なものとみなされていたように思う。今吉田秀和の名著『世界の指揮者』(初版は1973年)を覗いてみたのだが、ブーレーズの項目はまず作曲家としての彼の業績について触れた上で、彼の十八番であったストラヴィンスキーの《春の祭典》とベルクの作品集、それにドビュッシーについて言及する、という内容は、ラヴェルの録音がリリースされ始めた当時の、ブーレーズについての一般的なイメージを反映するものであったと考えて差し支えあるまい。その一方で、作曲家であると同時に熱心なレコード・リスナーでもあった諸井誠はブーレーズのファンで、有名な『ぼくのBBB』(初版は1974年)を読むとワーグナーや前述のベルリオーズなど、彼の録音のことごとくを非常に楽しんで聴いていた様子がうかがえる。(ちなみに「ぼくのBBB」とはダニエル・バレンボイム、ピエール・ブーレーズ、レナード・バーンスタインのことである。)しかし諸井のような懐の深い聴き方は、当時としては少数派であったはずだ。

このコンテンツの続きは、有料会員限定です。
※メルマガ登録のみの方も、ご閲覧には有料会員登録が必要です。

【有料会員登録して続きを読む】こちらよりお申込みください。
【ログインして続きを読む】下記よりログインをお願いいたします。

0
タイトルとURLをコピーしました