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【特別寄稿】ネルソン・フレイレSWR録音集に思う

SWR musicから2月14日にネルソン・フレイレの放送録音を収めた3枚組CDが発売される。SWR musicの担当者が2025年前半のイチオシと語るこのセットについて、フレイレの音楽と人となりに間近に接した板垣千佳子氏に語ってもらった。

ネルソン・フレイレ SWR録音集
– ショパン、シューマン、ブラームス、ドビュッシー、スクリャービン、ファリャ、ヴィラ=ロボスの作品

CD: SWR19161CD 輸入盤3枚組 オープン価格

ネルソン・フレイレのこと

このたびSWR(南西ドイツ放送)レーベルから、ネルソン・フレイレの放送用音源がCD3枚組でリリースされる。録音年が1968年、1970年、1999年と30年にわたる期間で、レパートリーも多岐にわたっており、さまざまな環境での録音だが、どれもまさにフレイレの魅力満載。スタジオ録音よりもさらに生命力に満ちた演奏を聴くことができるのはこのうえない喜びである。

フレイレは1944年10月18日、ブラジル南東部の田舎町ボア・エスペランサで生まれた。父は薬剤師、母は教師で、4人姉弟の末っ子のネルソン少年は、3歳にして姉が弾くピアノを聴き、記憶を頼りに弾いてはその驚くべき耳で皆を驚かせたという。バスで4時間かけて通った最初のピアノ教師のもとで数回のレッスンを受けた後、「もうこの子に教えることはない」と言われたという神童ぶりであった。その後、新たなピアノ教師を求めて6歳の時に家族でリオに移る。そして12歳にしてリオ・デ・ジャネイロ国際コンクールで審査員のギオマール・ノヴァエス、マルグリット・ロン、リリー・クラウスらを前にベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」を演奏して入賞。奨学金を得て、翌年にウィーン音楽院に留学、フリードリヒ・グルダの恩師ブルーノ・ザイドルホーファーに師事することになった。そのウィーンではマルタ・アルゲリッチと出会い、親友となる。

神童としての子供時代を経たフレイレはそうして世界のトップ・ピアニストとなり、以後ケンペ、ヨッフム、プレヴィン、小澤、シャイー、ジンマン、ゲルギエフらの錚々たる指揮者や名だたるオーケストラと共演する。彼はなんといってもブラジルの国民的大スターであり、2021年に77歳で世を去った時には、ブラジルの国全体が喪に服し、ブラジルのラジオはフレイレの音楽を1カ月毎日流し続けたという。欧米での活躍は、他のビッグネームのアーティストと変わらないのに、日本では特に、どこか控えめな印象があるのは、本人のメディア嫌いと慎ましやかな性格が由来するのだろう。

すみだトリフォニーホールでサインに応じるフレイレ(撮影:筆者)

ところで、このCDのブックレットには音楽評論家のChristoph Vratz氏が「エレガンスと自然な深み」というタイトルでボリュームのあるすばらしい文章(ドイツ語と英語)を寄せているので、ぜひ読んでいただくことをお勧めする。その中に「フレイレの演奏は、いつもどこか軽やかで、どこか虹色のきらめきがする」と書かれているが、まさにこれはフレイレというピアニストにおいて、いつの時代でも一貫している特質ではないかと思う。軽やか、イコール、音楽に深みがないというのは違う。聴くと幸せの度合いが倍増して心がふわっと喜びに満ちる軽さと、それでいて心に忘れられない刻印を残す重さを兼ね備え、どうしたらこんな音楽を奏でられるのだろう!と聴くたびに魔法にかけられたような恍惚感を覚える。

さて今回リリースされるこのCDには、ショパン、シューマン、ブラームス、ドビュッシー、スクリャービン、ファリャ、ヴィラ=ロボスといった、さまざまな作曲家の作品がとりあげられている。

ショパンはフレイレの人生のあらゆる段階で彼により添い、愛し続けた作曲家で、愛に満ちた魅惑的な演奏。

ブラームスは、若い頃のソナタ第3番や、シャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管との歴史的名盤であるピアノ協奏曲2曲の録音を聴けばわかる通り、フレイレにとって特別な作曲家であったことは間違いない。

シューマンもフレイレの手にかかると一層輝きを増す。ニコライ・ルガンスキーはフレイレの追悼メッセージでこのように語った。「私は若い頃からネルソン・フレイレを聴いてきたが、多くの音楽愛好家と同じように、彼のことは主にアルゲリッチの素晴らしきデュオ・パートナーとして知っていた。 私たちドレンスキー門下生がそろって、ブラジルに行った時のことだが、ラジオでシューマンの『幻想曲ハ長調』の録音が流れ始めた。すると、ブラジル人と陽気で賑やかな会話の最中だったにもかかわらず、みんな黙ってしまった。それだけ、そのピアニストの独創的な演奏に驚かされたのだ。後でそれはフレイレの録音だったことがわかり、それ以来、彼は私の最も好きなピアニストの一人となった。」

フレイレはリサイタルのアンコールでもよくヴィラ=ロボスの小品をとりあげていたが、ブラジル人の魂ともいえるこの作曲家を、彼はとても敬愛していた。焦元溥によるインタビュー(「ピアニストが語る!第5巻 『時代を超えて受け継がれるもの』」 アルファベータブックス刊)でも「ヴィラ=ロボスは、真に偉大な作曲家です。私がブラジル人だからそう言うのではありません。彼は実に独創性あふれる天才なのです」と語っている。日本のオーケストラとヴィラ=ロボス作品の共演の可能性を話していたというのに、実現しなかったことは極めて残念である。

滞日中、焼き鳥屋にて(撮影:筆者)

フレイレはインタビューで、彼が子供時代からよく聴いた往年のピアニスト――ラフマニノフ、ホフマン、ノヴァエス、ギーゼキング、ホロヴィッツ、ルービンシュタインらへの愛を語っているが、古き良き時代の香りは彼自身の音楽にも感じる。フレイレは映画が大好きで、1940~50年代の映画や当時のスターの話になると無口な彼も雄弁になったが、古い時代の美学を大切にしていた。今やなんでもAIが処理してくれるテクノロジーの時代だが、フレイレの音は人間的な温かみに満ちて、魅力的で、音楽の作り方も恣意的なところはなく、あらゆる音が有機的に結びついた自然な流れを感じる。その音楽を聞くと、笑顔が最高に素敵だったフレイレの人間性と結びつく。2003年のドキュメンタリー映画『ネルソン・フレイレ: A man and his music』(監督: ジョアン・モレイラ・サレス)には彼のチャーミングな人柄や、アルゲリッチとのシーンが魅力的にちりばめられている、素晴らしい作品である。

私は前職KAJIMOTO時代にたくさんの音楽家とのツアーをご一緒させていただいた。その時に本当にたくさんの音楽家がネルソン・フレイレのファンであることを知った。そうした彼らとの雑談の中でも、マリア・ジョアン・ピリスがフレイレのショパンのノクターン全集を絶賛していたこと、また音楽の方向性が違うように思えるピエール=ロラン・エマールがフレイレをとても尊敬していると話していたことが印象に残っている。もちろんデュオで共演するだけでなく人間的に深く結びついていたアルゲリッチがいかにフレイレの音楽を愛していたかは、今さらここに書く必要がないほど明らかなことだが、とてもシャイで自分のことを語ることはなかったフレイレは、歴史に残る真に偉大な芸術家であったと思う。

フレイレは、77歳で亡くなるその2年前に怪我をして、コロナ禍の時と重なったこともあり、その後、舞台に復帰することはなかった。If, if, if……世界は仮定法過去完了を使いたくなることで溢れていて、「あの時、ああだったら」と思うことは尽きないが、そんなことを考えてもしかたがない。私たちができるのは、フレイレが残したたくさんの至宝を聴く喜びに身を委ねることだ。こうしてすばらしい3枚のCDが世に出ることは、音楽ファンにとって純粋な喜び、というひとことに尽きる。

彼は言う。

“Like everything in life, music works through love”(人生のすべてがそうであるように、音楽は愛を通して可能なものとなる)、と。

ネルソン・フレイレは、頭のてっぺんから足の先まで音楽への愛に満ちている、まるで音楽の化身のような人だったと思う。

著者プロフィール

板垣千佳子(いたがき・ちかこ)
合同会社ノヴェレッテの代表として、クラシック音楽のアーティストのマネジメントをおこなう。編書『ラドゥ・ルプーは語らない。』アルテス・パブリッシング刊


ネルソン・フレイレ SWR録音集
– ショパン、シューマン、ブラームス、ドビュッシー、スクリャービン、ファリャ、ヴィラ=ロボスの作品

CD: SWR19161CD 輸入盤3枚組 オープン価格

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