ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番,シューマン:同第2番
塩川悠子(vn)アンドラーシュ・シフ(p)
〈録音:2015年12月 (ブラームス),2019年1月 (シューマン)〉
[ECM(D)UCCE2107]
3300円
秋の深まりの中で
何度も聴き返したい1枚
沈思黙考という言葉は音楽表現の場には似つかわしくないのだろうが、塩川悠子とアンドラーシュ・シフによるブラームスの《ヴァイオリン・ソナタ第1番》の冒頭部を聴いたとき、まずふたりの長い演奏歴、時間の積み重ねによって作られた音の厚みがその言葉を浮かび上がらせた。深いピアノの和声、そこから浮かび上がってくるようなヴァイオリンの主題は円熟期を迎えていたブラームスの心の内を静かに、しかし確かに訴えてきた。その他の楽章ももちろん考え抜かれており、本当に久しぶりにこの曲の魅力を心から楽しんだ。対照的にシューマンの《ヴァイオリン・ソナタ第2番》は作曲家が亡くなる5年ほど前の作品だが、隅々まで情熱に身を委ねたかのような音楽が展開されており、塩川とシフはその情熱にも真摯に向き合って、奔り出た作曲家の想いを見事にとらえている。
録音年はブラームスが2015年、シューマンが2019年であり、ふたりがECMのために録音を行なった作品集としては第3作目となる。アイヒャーによるプロデュースはふたりの音楽をより深みのある音として記録した。
思えば、ふたりとも巨匠シャーンドル・ヴェーグの薫陶を受けており、ヴェーグの精神を現代に受け継ぐ貴重な存在でもある。私がヴェーグの演奏(指揮)に接して個人的に感じたことは、楽譜に忠実に、同時に音楽にも忠実に、ということだったが、それを演奏で実現するためには本当に長いリハーサルと、楽譜の深い読みを通して得られる音楽の心を掴むこと、そしてそれを自分のできる限りの力を使って表現することの大事さだった。それをふたりはこの録音を通してあらためて実現している。そこで展開されるのは、まさに作曲家が意図した音楽であり、果てない努力の最後に得られるひとつの可能性の提示でもある。それこそが聴き手をさらに深く音楽の淵へと誘い込む。秋の深まりの中で何度も聴き返したい1枚である。
片桐卓也(音楽ライター)
協力:ユニバーサル ミュージック