≫特捜プロジェクト・アニバーサリー作曲家の他の記事はこちらから
1959年東京都杉並区生まれ。音楽評論家。コピーライターを経て、40歳を目前にして名刺に音楽ライターと刷り込んで以来、音楽誌やCDのライナー・ノーツの執筆を中心に活動中。内外の音楽家へのインタビューも数多く手がけている。旧『レコード芸術』誌では、新譜月評で交響曲を担当。著書に『ON BOOKS advance もっときわめる! 1曲1冊シリーズ ② ストラヴィンスキー:《春の祭典》』(音楽之友社)がある。2016年からNHK-FMの『名演奏ライブラリー』で案内役を務めている。
***

Marc Blitzstein
1905〜64
今月号で取り上げる作曲家は、今年が生誕l00年のアニヴァーサリー・イヤーにあたるマーク・ブリッツスタインである。彼の場合、バーンスタインの評伝等に、必ず姿を見せるものの、こと日本ではその作曲作品が親しまれているとはお世辞にも書けないと思う。しかも、同性愛者であったブリッツスタインは、64年の冬に避寒のために訪れていたマルティニック島のフォール・ド・フランスのバーで3人の船乗りと痛飲し、その内のひとりを誘って路地裏ヘ連れ込んだ際に、残りのふたりも付いてきてしまい、よってたかって殴打され、400ドル入りの財布と身ぐるみを剥がれ、その際に受けた挫傷の内出血により亡くなってしまったのである。社会正義をテーマにした劇場作品を数多く残し、一時期はアメリカ共産党に人党していた人物の死に方としては、いかがなものか、という思いを抱くのは筆者だけではないだろう。ブリッツスタインには、モダニスト、コミュニスト、反ナチの愛国者、劇楊人など、さまざまな顔があり、どこに重きを置くかによって、その評価に大きな偏りが出てしまう点も、彼の立ち位置を微妙にしているのである。なにはともあれ、まずは彼の生涯を簡単に紹介することにしたい。
裕福な家庭に生まれ
シェーンベルクにも師事
マーク・ブリッツスタインは、1905年3月2日にフィラデルフィアで生まれた。ロシア系ユダヤ人の父は、同地で銀行家として活躍するなど、その家庭は裕福であり、マーク少年は早くからピアノを学び、ペンシルヴェニア大学、カーティス音楽院を経て、ニューヨークでピアノをジロティに師事。フィラデルフィア管のソリストとして、リストの第1番やサン=サーンスの第2番といった協奏曲を演奏したという記録も残している。26年には、ヨーロッパに渡り、パリでブーランジェ、ベルリンでシェーンベルクに師事。初期のブリッツスタインの作品は、新古典主義時代のストラヴィンスキーやフランス6人組の影響を留めているのが特徴とされているが、現在、ディスクで聴くことができるものの数はいたって少ないのが実情だ。ゴードン著の評伝『マーク・ザ・ミュージック』[セント・マーチンズ・プレス、89年]に載っている作品リストによれば、ピアノ・ソナタ(27年)、《ピアノのためのパーカッション音楽》(29年)、弦楽四重奏曲(30年)、《管弦楽のためのロマンティックな小品》(30年)といった作品が並んでいるが、耳にすることができないのが現状である。31年作のピアノ協奏曲は、密やかな抒情とほの暗い響きが交錯する注目作で、二重パッサカリアになっている第3楽章など、凝った書法が用いられている。もっとも、この作品も35年に2台ピアノ用のリダクション版で初演こそ行なわれたものの、すでに作曲者本人はこの時代の作品を再演しようという気持ちを失ってしまっていたということだ。
《揺りかごはゆれる》で
一躍、時の人に!
20年代後半に“芸術のための芸術”を標榜していたコープランドやブリッツスタインは、30年代に入ると、大恐慌とラジオというメディアの興隆から、反エリート主義を打ち出し、大衆に強く訴えかける音楽へと舵を切ることになる。ブリッツスタインは、ブレヒト、ヴァイル、アイスラーの路線をとり、ブレヒトに示唆され、労働組合主義を擁護する内容の《揺りかごはゆれる》を37年に発表(演出は、オーソン・ウェルズが担当)。この作品は、ティム・ロビンス監督の映画『クレイドル・ウィル・ロック』(米、99年)で描かれていたように、政府の圧力による上演ストップの命令に逆らって、当初上演予定の劇場から、出演者と観客が別の劇場まで行進を開始。俳優組合の規定により、出演者が舞台上に立てないため、ブリッツスタインひとりが舞台のピアノの前に座り、客席に陣取った出演者たちは自分の出番が来ると、立ち上がってその場で歌うというスタイルで、センセーショナルな成功を収めたのである。この作品は、俗語を大胆に取り込み、ポピュラー音楽の語法を散りばめながら、直裁に歌いかけて、ドラマの核心を大胆に聴衆に訴えかけていく手法が展開されている。
41年に初演されたアメリカン・オペラ《答えはノー!》では、この路線をさらに推し進め、複合的なリズム書法に加え、全音階によるメロディに辛口の不協和音を用いて、辛辣な情感を酸し出したり、スパイス的に複調を用いたりもしながら、インパクトと親しみやすさを兼ね備えた音楽を書き上げることに成功。そう、ブリッツスタィンは、バーンスタインの劇場作品(および人格の形成)に、多大な影響を与えたことでも知られているのである。
アメリカ共産党に入党していたブリッツスタインであるが、ナチス・ドイツのソヴィエト連邦への侵攻をきっかけに、アメリカのコミュニストの大半が参戦賛成に回った際に、彼もまた空軍に入隊し、ロンドンのアメリカ放送局で音楽ディレクターを務めている。そうした経験が契機になって生まれた《空輸交響曲》は、バーンスタインが2度にわたってレコーディングをしたことでも有名だが、この作品を通じてのみブリッツスタインの音楽を知っているという人の中には、壮大で脳天気な響きと溌刺とはしているが、やや上滑り気味のメロディ・ラインを耳にして、「これはあまりにも安易に受けを狙いすぎている」とお感じになる方もいらっしゃることだろう(筆者も、最初はそうでした)。
商業的には、《三文オペラ》の
翻訳者として大成功!
戦後になってアメリカの社会が、左翼思想の持ち主に対する風当たりを強めていく中で、ブリッツスタインは、リリアン・ヘルマンの戯曲『小狐たち』によるオペラ《レジーナ》を49年に完成。しかし、成功を収めることはできず、その後、55年のオペラ《リューベン・リューベン》は、作曲者自身の台本がわざわいして、ボストンでの試演後、ニューヨークの上演プランがキャンセルされてしまう体たらくに終わっている。ただし、ブリッツスタインが52年に翻案したアメリカ版の《三文オペラ》は大成功。ブリッツスタインの名は、〈マック・ザ・ナイフ〉をはじめとする英語詞の作詞者として記憶されている時期が長かった、という書き方もできると思う。
64年1月22日に亡くなったブリッツスタインであるが、アニヴァーサリー・イヤーの今年は、すでにワシントンのケネディ・センターでオペラ《レジーナ》(マーキュリオ指揮)が3月10日から12日にかけて、4公演行なわれることが決まっているほか、その後もアメリカの各地で“数多く”とまでは書けないものの、シンポジウムや記念演奏会の予定もあるようだ。アメリカ的なオペラを模索したブリッツスタインに対する再評価が進んでいるこの機会に、バーンスタインの《オン・ザ・タウン》を先取りしたと言われている《フリーダム・モーニング》(43年)などのレコーディングも期待したいところである。
ブリッツスタインとシェーンベルク
シェーンべルクに弟子入りした最初のアメリカ人はブリッツスタインではなく、アドルフ・ワイスという人だそうだが、ブーランジェとシェーンベルクの双方に習ったアメリカ人はブリッツスタインだけだということだ。シェーンベルクは、ある日、ブリッツスタインに向かって、「第一次大戦後、アメリカの作曲家は、フランス=ロシアのスタイルで書いているけれど、戦争が始まる前の10年間は、ドイツ音楽の語法で書いていたじゃないかね。今から10年後には、再びドイツの音楽を書くようになるんじゃないかな」と語ったという記述が、ゴードンの評伝に載っている。これは、ストラヴィンスキーの賛美者であったブリッツスタインに対して、釘をさしたとも取れる話だが、第二次大戦後にコープランドやセッションズをはじめ、アメリカの作曲家が12音列技法を採用するようになることを考えてみると、なかなか意味深な発言であると思う。一方のブリッツスタインは、シェーンベルクに師事して1か月後に、友人に向かって次のように書き送っている。「私はますますシェーンベルクとは一致しません。彼は実験室にフィットするためだけに、不活発な死んだパターンで音楽を作ろうとしています。とはいえ、彼が現存する音楽家の中で、もっとも偉大で知的な人物であることは疑いの余地がありません」。この時期に、彼は、兄弟子にあたるアイスラーと初めて出会い、やがて大きな影響を受けることになるのである。
おすすめディスク

ブリッツスタイン:ピアノ協奏曲
マイケル・パレット(p)ルーカス・フォス指揮ブルックリンpo
〈録音:1986年1月〉
[CRI(D)CD554(海外盤)]
ライナー、グーセンス、ストコフスキーが興味を示しながらも、諸般の事情で取り上げられることがなく眠り続けた作品で、作曲者の死後20年以上を経て、ようやく完全な形で同曲を初演したパレットとフォスのコンビによる記念すべきレコーディングである。第2楽章の音の使い方や終楽章の理話めの展開などは、作曲者の師事歴を知らなくても、シェーンべルクの影がちらついていることを感じる、という方もいらっしゃるに違いない。

ブリッツスタイン集
〔《揺りかごはゆれる》より、アメリカン・オペラ《答えはノー!》より、空輸交響曲、他〕
マーク・ブリッツスタイン(p、朗読、指揮)オリーヴ・スタントン(vo)、他
〈録音:1938年4月〜46年11月〉
[Pearl(M)GEMS0009(2枚組、海外盤)]
《揺りかごはゆれる》はミュージックラフト、《答えはノー!》はキーノートという具合に、どちらも非クラシック音楽系のレーベルからリリースされたあたりに、当時のブリッツスタインの立ち位置がよくうかがえると思う。どちらも、オリジナル・キャストによるレコーディングであり、社会への怒りをバネに真っ向から熱いドラマが立ち上ってくるのが感動的である。《空輸交響曲》は、バーンスタインの第1回目の録音が併録されている。

ブリッツスタイン:オペラ《レジーナ》
ジョン・マウチェリー指揮スコティッシュ・オペラo、同Cho、キャサリン・チーシンスキ(Ms)サミュエル・レイミー(Br)、他
〈録音:1991年5月〉
[Decca(D)433 812-2(2枚組、海外盤)]
ブリッツスタインがアメリカ共産党を離れた年に初演された《レジーナ》は、プロローグと3幕から成る作品。ジャズの響きを採り入れつつ、心臓を患う裕福な銀行家ホレイス・ギデンズの妻レジーナが、兄と結託して夫から資金を引き出そうとする話を縦軸に、南郡の旧家のドロドロとした内実を鋭利に播いていく。なお、原作の戯曲を書いたリリアン・ヘルマン自身が脚本を担当した映画(邦題は『偽りの花園』)も著名である。

