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1959年東京都杉並区生まれ。音楽評論家。コピーライターを経て、40歳を目前にして名刺に音楽ライターと刷り込んで以来、音楽誌やCDのライナー・ノーツの執筆を中心に活動中。内外の音楽家へのインタビューも数多く手がけている。旧『レコード芸術』誌では、新譜月評で交響曲を担当。著書に『ON BOOKS advance もっときわめる! 1曲1冊シリーズ ②ストラヴィンスキー:《春の祭典》』(音楽之友社)がある。2016年からNHK-FMの『名演奏ライブラリー』で案内役を務めている。
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昨年夏に天下のDGから、プレトニョフ、レーピン、ハレル、グリンゴルツ、今井信子という豪華な顔ぶれで、タネーエフのピアノ五重奏曲とピアノ三重奏曲のディスクがリリースされた。秋には、読売日響の定期演奏会で、ロジェストヴェンスキーがカンタータ第2番《詩篇の朗読》を指揮するなど、ちょっとしたタネーエフ再興の動きが日本でもあらわれ、後者などは、「さすがに、生誕150年に向け、動きが急であることよ」と期待したのだが、肝心の2006年に入ってからは、残念ながら失速気味である。いや、しかし、落胆するのはまだまだ早い。まずは、タネーエフの生涯を追いかけてみることにしよう。
ロシア期待の星として
モスクワ音楽院を卒業
セルゲイ・タネーエフ(タニェエフ) が、ロシアの古都ヴラディーミルの地で生まれたのは、1856年11月25日(ロシア暦では13日)のことである。彼が9歳の時に、一家はモスクワに移り住み、5歳からピアノを習っていたセルゲイ少年は、できたばかりのモスクワ音楽院に入学した。9年間の学生生活は、最初は教師として、後には親しき友となったチャイコフスキーとの出会いをはじめ、さまざまなものをタネーエフにもたらした。75年5月に、ピアノ科と作曲科の課程を修了。卒業時には、モスクワ音楽院史上初めて、最優秀賞と金メダルを贈られたことからも、彼への期待の高さがうかがえるというものだ。
ニコライ・ルビンシテインのもとで、ピアノの名人芸を身に付けたタネーエフは、卒業後、アウアーとデュオを組み、ロシアやバルト地方にも演奏旅行に出たほか、75年11月には、師であるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のモスクワ初演のソリストを務めている。
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