≫特捜プロジェクト・アニバーサリー作曲家の他の記事はこちらから
***
ルーマニア出身の音楽家、ジョルジュ・エネスコ(エネスク)がパリで死去したのが1955年5月4日のこと。本年をもって没後50年となる。
エネスコは一般にどういうイメージを持たれ、どういう形で記憶されているのだろうか? 20世紀前半には世界でも指折りのヴァイオリン奏者として活躍した彼であるから、伝説の名手として名前を知ったという方は多いことだろう。音楽家としての楽壇への影響ということならば、何もヴァイオリンに限らない。エネスコと同じルーマニアの出身で、日本ではいまだに高い人気を誇る、夭折したピアニスト、ディヌ・リパッティの名付け親であり、そのキャリアの形成にあたって多大な貢献をしたことでも彼の名は知られている。
けれど、作曲家としてのエネスコはどうか? LP時代までであったならば、管弦楽小品集の定番として、あるいは手ごろな長さのフィルアップ用レバートリーとして、彼の《ルーマニア狂詩曲》第1番が繰り返し録音されたものだった。しかしCD時代を迎えて、この種の作品は次第に影が薄くなり、今や滅多に新録音にお目にかかれない曲目となってしまった。結果として、ヴァイオリン奏者としてあれほどに名を成したエネスコが作曲家でもあったという事実自体が、一般の人びとからは忘れ去られかけている、というのが偽らざる現状かもしれない。だが、エネスコが将来歴史に名を残すのであれば、それは疑いなく作曲家としてであって、その重要性には彼の他のどの音楽活動も及ばない。本稿では生涯の歩みを簡単に振り返りながら、作曲家エネスコに思いを馳せてみたい。
こちらの閲覧には有料会員へのご登録が必要となります。
有料会員登録がお済みの方は、Fujisan.co.jpにてお申込み頂いたアカウントにてログインをお願いします。