インタビュー・文 = 船越清佳(ピアニスト/音楽ライター)
2024年夏、ブリュノ・モンサンジョン著『指揮棒の魔術師 ロジェストヴェンスキーの“証言”』(原題『Les Bémols de Staline /Conversations avec Guennadi Rojdestvensky』仏初出2020年。以下『ロジェストヴェンスキーの証言』と略)の日本語訳が発売された。映像の鬼才・モンサンジョンは、名指揮者ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーをテーマに複数のドキュメンタリーを制作したが、その収録内容に未発表の記録を大幅に加え、今回「書物」として新たに生まれたのが本作品である。日本語版発売にあたって、彼は改めて本書に込めた思いを語ってくれた。
リヒテルやグールドを扱った映像作品で世界的に知られるモンサンジョンは、自身の創作について、「〈解説者〉としての自分の介入を排除する方向へと向かっていった」と話している。〈解説者〉は、鑑賞者/読者が、主人公の言葉を直に受け止めながら自ら考える自由を奪ってしまう、と。
『ロジェストヴェンスキーの証言』は、30年にわたるモンサンジョンとロジェストヴェンスキーの会話の記録だが、モンサンジョンは本書の大部分から自身の痕跡を消し、「ロジェストヴェンスキーのモノローグ」として再構築した。その効果は鮮やかで、読者はいつの間にか、ロジェストヴェンスキーが目の前で自分だけに語りかけているような錯覚に陥る。“指揮棒の魔術師”のあの目くばせや、身を乗り出すしぐさ、変幻自在な表情がありありと目に浮かぶのだ。この日本語版が、日本を愛してやまなかったマエストロへのオマージュとなれば、訳者としてこれ以上の幸せはない。
【書籍】
指揮棒の魔術師ロジェストヴェンスキーの“証言”
ブリュノ・モンサンジョン 著/船越清佳 訳
ISBN978-4-276-20383-9 C1073
定価(本体3900円+税) 音楽之友社
恐怖の独裁者は楽譜に何をした? 芸術家をプロパガンダの消耗品にした奴は誰だ? 監視・弾圧・密告・粛清……翻弄される音楽家たち。共産主義体制下の不条理と、水面下の抵抗を鮮やかに語る歴史ドキュメント。
旧ソ連の芸術家たちが生きた“現実”
───まず本書の源泉である映画『ロジェストヴェンスキーの証言』(1999~2015)は、前2作『赤い指揮棒』『指揮者それとも魔術師?』と異なり、4時間にわたるロジェストヴェンスキーの“語り”のみで構成されています。時間の経つのを忘れるほどに面白い作品ですね。
ブリュノ・モンサンジョン(以下BM) 当時、パリで行なわれた試写会にはゲンナジーも訪れました。「これは後世まで残るね」という彼の言葉が忘れられません。客席にはパーヴォとネーメ・ヤルヴィ父子の姿もあり、ゲンナジーは「偉大な指揮者が3人揃いましたね」と冗談を言っていましたよ。実に陽気な試写会で、会場は何度も爆笑に包まれたものです。たとえば、ドビュッシーの《カール・マルクスの詞による労働祭序曲》のエピソード(ロジェストヴェンスキーが音楽に無知なソ連の官僚たちを煙に巻いた逸話のひとつ)など……(笑)
───本書『指揮棒の魔術師 ロジェストヴェンスキーの“証言”」には、映画に収録されていない話もふんだんに取り込まれ、登場人物も多数です。ネーメ・ヤルヴィがプロコフィエフ《十月革命20周年記念のためのカンタータ》を録音したとき、ロジェストヴェンスキーがレーニン役で参加した話も出てきますね。ディスク[編注:この1992年6月の録音はCDとしてリリースされていた(CHAN9095、CHAN10537W)。現在はいずれも廃盤]を聴きましたが、彼の朗読の才に震え上がりました。
BM 英『グラモフォン』誌の批評に「スターリンの役を巧みにこなした」と掲載され……というくだりですね(笑)。ゲンナジーは語り部としても実に一級でした。彼は旧ソ連の芸術家の生きた現実について、ユーモアと風刺を交えた語り口で、数々の信じられないような話を打ち明けてくれました。このような内容を記録として残すことができたのも、長年の友情と信頼関係があったからです。ほぼ半世紀にわたって、私たちは頻繁に会っていたのですから。
「私にとって、プーチンは同じタイプの人間としか感じられません」
───ロジェストヴェンスキーとは、夫人のピアニスト、ヴィクトリア・ポストニコワを介して知り合われたそうですね。
BM 当時私とすでに親しかったヴィクトリアが、演奏旅行でイタリアを訪れた折に、ゲンナジーとの結婚について知らせてくれたのです。若く美しいヴィクトリアが、10歳以上も年上で、プロコフィエフを彷彿とさせる強面のロジェストヴェンスキーと……(笑)と少なからず驚きましたが、彼女が名声を馳せる指揮者と結ばれたのですからこれは素晴らしいことです。
しかし、現実に起きたことはその正反対でした。結婚後、ヴィクトリアは数々の困難に直面しなければなりませんでした。彼女は1966年にリーズ国際コンクールで第2位を受賞し、英国での演奏活動が軌道に乗り始めていましたが、英国の寵児となった彼女に、ソ連当局が疑惑の目を向けるようになったのです。弾圧が始まり、その結果ロジェストヴェンスキーも一時期「出国禁止」という大きな犠牲を強いられることになりました。彼がモスクワ放送交響楽団を辞任せざるを得なかった理由も、この本の「ユダヤ人の物語」の章で詳細に語られています。
───ロジェストヴェンスキーはソ連でも優遇された立場にいたと思っていましたが、そんな苦汁をなめた時期もあったのですね。彼が尋問されるシーンはスリラー小説のようで、訳しながら特に惹き込まれた箇所です。彼がソ連の指揮者としては初めて国外オーケストラでの首席指揮者就任を許された経緯(「前代未聞の任命」の章)にも驚きました。ロジェストヴェンスキーは「シャンパングラスを片手に、すべてが解決した」と、ソ連の大臣や官僚たちを皮肉っていますが……。
BM 一方で、ゲンナジーは西側行きの願望の虜になっている人ではありませんでした。自身のダーチャ(別荘)でスコアの勉強に集中していれば満足だったのですから、彼にとって「出国禁止」は、それほどの罰ではなかったのかもしれません。
───原書のタイトル「スターリンのフラット(Les Bémols de Staline) 」は、ボリショイ劇場でオペラ《イワン・スサーニン》を鑑賞していたスターリンが、幕間にその公演の指揮者サモスードを呼び出し、「第1幕にはフラットが欠けている」と告げた、という逸話からきています 。
BM 登場する歴史的人物の一人、スターリンと「フラット」という音楽用語を重ねて、読者の好奇心を掻き立てたかったのです。ここで語られる唖然とするようなエピソードは、スターリンに招集されることが、人々にとってどれほどの恐怖だったかを物語っています。これはまさにロシアの現状と重なります。私にとって、プーチンは同じタイプの人間としか感じられませんから。
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